71)輸入業をやってみたい
え~と次にやってみたいことは<一つあった>何でもいいから輸入販売を経験してみたい・と思ったことがある・新聞に目を通すと・あった~貿易実務習得・週二回・二ヶ月。
これなら通信教育よりも早い<なんでもいいやと本町に通うことにした>内容は書類の書き方や貿易取引の流れだった・なんとなく解った様な気も<要は国内商品が海外商品になるだけの事なんだが>
どちらにしても販売する商品を見つけなきゃ~と、スポーツ紙に目を通すと下段にビリヤードのキューが写真入りで載っていた、販売元はアメリカになっているが、あれ~これは確か日本のメーカーなのにどうしてアメリカからの方が安いんだろう・よくわからない・
そんな頃に事務所前の日本橋通りを歩いていると女性に声をかけられた、誰だろうと思い振り向くと以前バンドのオーディションでマニラに行った時に知り合ったマリアさんだった・驚いた~・
その後に大阪に来て結婚し子供も出来たとか・仕事はレストランで歌ってるという・それにしても偶然だな~連絡先を聞いておいたので・彼女にアメリカの販売元にオファーを出してもらおう・タイプライターを買ってきて英文でビリヤードキュー他を注文してもらった。
さっそく届いた商品をカメラ撮りしてスポーツ紙に写真入りの広告を出すと<最初の購入者は熊本からだった>遠方から注文が来るとは・やてみなきゃ解らないものだ~・・時々事務所に買いに来る人もいたが、それだけでは数は売れないのでビリヤード店へ行って・営業経験でもしてみようか・
営業は得意ではないがTVドラマとかのモノマネでいいや・電話帳でビリヤード場を探して行くことに・車も荷物を積める商業用のハイエースバンに買い替え・ビリヤードキューや用品を載せた。
ビリヤード場に行くと3軒に一軒が買ってくれた<これなら地方営業に行けば売れそうだ>その頃に人気絶頂期の近藤真彦がビリヤードをやりだし<テレビ放映されて>どうやらこれが功を奏したようだ<少しばかりブームになった>
ところが5ヶ月が過ぎた頃に<国内メーカーから電話が入った>仕入れ先を尋ねられた時に
《おいらは馬鹿正直なので・つい仕入れ元を喋ってしまったのだ》
72)輸入品は為替レートで価格変動
なぜ国内メーカーから電話があったのだろうか<その時には気付かなかった>ところが数日後にアメリカへ商品を注文した際に<メーカー要望で取り引きが停止されたとか>どうやら国内仕入れよりも<輸入仕入れの方が安かった>ようだ・それは為替レートによるものだと・知ることになる。
この時は円安 ドル高 で1ドルが165円位だったが<それ以前の円安から取引されてたなら>アメリカからドルで購入すると半額程で買える・おまけに仕入価格ならもっと安かったはずだ。
当店は販売価格が安かったのでメーカーが疑問に感じて<電話を寄こしたようだ>これは違法な販売ではないはずなのに・しょうがない・
それにしても為替レートで輸出入価格がこれほど変動するとは~ということは日本円が高い時にレートの低い国から輸入すれば<輸入品は安くなり・物価安になる>逆に<円安は輸入価格が上がり・これに合わせて他の物価も上昇する>
1ドルは何円というレートは知ってはいたが、このように商品価格に反映されることは考えたこともなかった、これも長い間水商売の箱の中で生きて世間知らずだったのかな~・と言う訳でビリヤード商品の輸入販売は出来なくなった・これ又・卒業になちゃった~
73)会社勤めをやってみたが
その頃だった・梅田の第三ビルで高級鍋?の販売業をやっていた加藤さんから連絡が入り・久しぶりに会った・今は天六で仕事をやってるので・うちに来ないかと誘われ・それではと勤めることにした。
<近商>という社名で社長・専務・常務と経理担当・事務員二人、そしてディスコ時にボーイ長を務めた上野君が平社員で7名の会社だった、ところがこの会社は何をやってるのか業務内容が皆目解らない、ビルのワンフロアーを借りているので資金はあるようだ・疑問に感じて社長に何をやってるんですかと質問をしてみると・
不動産業というが物件資料もない、なにか輸入業をやりたいとは言っているが具体的な答えはなく、曖昧な返事しか返ってこないので・それ以上は聞かないことにした・
ある日社長がこの書類を東大阪迄届けてくれないかとベンツのキーを渡された、この頃のベンツは頑強な造りで主に暴力団が乗る車だというイメージが強かった・
それではとベンツのハンドルを握り駐車場を出るとすぐに気づいた・なんだこりゃ~周りの車がみんなよけている・街中でも車1台分の空間がある・広い道路に出るとこれがまた楽だ~左右の車は遠慮するようにスピードを落とし・前方を走っていたダンプカーまでが横に避けてくれる、ポルシェまでも・・
これならハンドルさえ握っていれば<真っすぐに走って行ける>驚いた~乗るまでは知らなかった・ベンツは高齢者や障害のある人に乗ってもらうべきだと思った。
それにしても会社ではやることが・なにもない・社長・専務・常務と肩書はあるが外出が多く社内にいない、上野君にそれとなく会社の事を尋ねてみた<するとココの社長は和歌山で詐欺をやっていたらしいですよ>そういえば2~3年前に週刊誌にそのような記事を読んだような気がした。
そうなのか~それで社名も何となく名の知れた会社と似通った名前になってるんだ、詐欺をする人は大手と類似社名にするというが・
だが上野君だけは仕事があるようだ、彼は社長の指示でフィリピンへ行ったり来たりしていたが、社長との会話では女性の名前しか出て来ない・どうやら社長はフィリピン女性がお目当てのようだ・
その頃に加藤さんと親しい23歳の三浦君を知る、彼はあずき相場(小豆の先物取引)の会社で営業をしていた・子供の頃に義父の知人たちがあずき相場で・やれ儲けた・やれ損をした・と騒いでいる光景を想いだした。
義父も少し手を出したがすぐ辞めたようだ・何でも一度は経験してみたい好奇心から三浦君に相場の投資金を預けた・彼とはよく飲みに行った・ふた月ほどが過ぎた頃に彼の様子がおかしいので問いただすと、儲けさせて上げようとの思いで資金を動かしたが・負けてしまったようだ・おまけに知り合いにお金を貸していたが・これまた蒸発して居なくなった。
74)親友の健ちゃんが居なくなった
健ちゃんとはたまに連絡を取り合っていたが<ここ数ヶ月連絡が取れなくなっている>数日後に手紙が来たので読んでみると、貝塚市の精神病院に居るというので慌てて行ってみた。
入口で面会の手続きを終えて・案内してもらうと入口の通路に大きな扉があり・それを開かないと中に入れない・二階の廊下を歩くと学校内の教室のような部屋が幾つかあり・各10名以上がいる・部屋からは誰が来たのかと・多数の患者がバタバタと走り寄ってきて窓越しに覗き見してる・
各部屋の外窓は鉄格子で囲っている<どうやら部屋から外には出れない造りのようだ>面会室があって健ちゃんと30分ほど会話を交わしたが、どこかおかしいとは感じなかった。
帰りの電車の中で会話を思い出すと<辛いことは薬をあれこれと飲まされるという>どうやら医薬品業界が新薬開発の際にモルモット後の最終段階に人体実験を行うが・この時に利用されていると想定した。
これと似たようなことがある、アメリカでは新薬の最終段階は刑務所の受刑者が服用するようだが、この時にファイザー社が開発した《血圧降圧剤のバイアグラ》を受刑者に飲ませると<とんでもない結果になった>受刑者達の下半身が元気になって困ると言い出したのだ~・
これにはファイザー社もビックリ仰天《瓢箪から駒》まさに棚からボタモチだ~それは血圧剤とは比較にならない程の収益を生み出すことになった~。
医学実験《人とモルモットのDNAは97.8%同じ:ミミズ50%:バナナ約60%*生物の基本構造は同じ》
昔はチンパンジー98.8%が実験用でしたが、高額のためにモルモットに変更されました。
やはり健ちゃんの入院はショックだ~
健ちゃんは玉造にある施設で育ち、16才の時に梅田でバーテンが最初の仕事だった・そこからの付き合いになる<家庭環境に恵まれない子供は:心のゆきどころが友達がになる>健ちゃんも友達を大切にした<似た者同士だった>3才年上の兄(おいらと同年)はいたが・実の兄よりも<おいらの方がお兄さんのようだ>とよく言ってた。
健ちゃんのファッションセンスは抜群だった
20代後半の頃に健ちゃんと千日前の喫茶店で待ち合わせた時だった<そのスタイルには驚いた>センスの良い伊達メガネをかけ・アタッシュケースを持ち・若草色のオーダースーツは一枚物の生地だった・肩に前後の縫い合わせがなく・しわ一つないスーツを着こなしている《いつもどこか違っていた》
(この頃は二人してオーダースーツだったが・彼のセンスには到底及ばない>
彼は23才の時に白色カローラの新車を買い、一ヶ月後にボンネット左右とトランクにステッチで囲んだグリーン色をデザインしていた・何とも可愛い新鮮な車になっている<健ちゃんが家庭環境に恵まれていたなら>良いデザイナーになっただろうな~と感じた・・《いつかは健ちゃんを迎えに来よう》
近商に出勤したのはいいが
社長はフィリピン女性の追っかけでしかない<やる仕事もない>ここに居ても無意味なので辞めよう・ 思えば楽な道ばかり選んできたような気もする・日々飲み歩いて遊んでばかりもつまらないことだと思えてきた・
この際一度原点に戻って肉体労働でもやって頭を冷やしてみようかな~元々肉体労働には抵抗がない・子供の頃に力仕事をやって汗を流した後は気分爽快だった・
みんな捨ててゼロからのスタートを試してみようか《この時45才》少しばかり自暴自棄になっていたようだ。
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1)飯場土方作業員からの続き
75)出直しのスタート
心機一転・やり直しだ~手持ち資金は40万円・というのは大阪を出る時に持って出たのは20万円、貯金や車を売ったお金は彼女と別れる時に残していった、彼女は小さなラウンジをやりだし、利益は100万円を超えていたのでやってゆけるはず・
この資金で何ができるだろう
土方の寮には普段は読まない・大人向けの雑誌・がよく転がっていた・見ると雑誌の中にアダルトグッズ卸します(雑誌・ロマンポルノビデオ・大人のグッズ等)という広告があったので・これなら小資金でいけそうだ・要はどう売るかの問題だな~
男子寮の有るところへカタログを郵送すれば複数の人に見てもらえるかも知れない、商品はその都度に買い足してゆけよいだろうと定番の商品を購入<通販用のカタログと配布用のチラシを作成する>
パチンコ店なら男子寮がある・ここをメインに各会社の社員寮にカタログを送ろう・ローカルな地域なら娯楽も少なく退屈してるかも・
チラシは午前中にあっちこっちへ配布して廻ろう・マンションの自室を整理して店舗代わりにすればいいや・まあ~やれば何とかなるさと言いつつ・
♪ カタログを郵送するとすぐに注文が入った・即日発送だ~
チラシを配布すればポツリポツリと電話も入り・場所を教えるとお客さんがマンションへ買いに来てくれた・そうなのか~こんな商品は表通りの店舗でなくてもいいんだ~こんなところの方が雑談もできて常連になったくれるようだ~なるほどね~・これまたやってみなけりゃ解んねえもんだべ~
ひと月も過ぎると中州へ飲み歩くようになっていた・中洲大通りには<飲食店の案内掲示板がある>この中でキャバレーとクラブを除いた全部の店に入ってみようと・いつもの悪い癖が出て二月で全部飲み廻った、どうもこれは病気のようだ・
ひと通り飲み歩いたので小さなスナックに通うことにした<ここはママと二人の女性がいた>19才の女の子はいつもニコニコ無邪気でその表情には癒される、カウンターで飲んでると女の子の会話が聞こえてきた、どうやら彼女の誕生日は4日後らしい・
そうなのか、じゃ~花をプレゼントしようと誕生日の昼間に花屋さんに寄ると<真っ赤な蕾のバラが目につき・一万円分を注文>送り主の名は入れず<誕生日おめでとう・いつも笑顔をありがとう>で届けるように頼んだ・
それから4日後に飲みに行くと・又二人の会話が聞こえてきた<あのバラの花は誰が贈ってくれたんだろうね~>それも蕾の花よ~きっとOOさんかもそれともOOさんかしらと・どうやら喜んでくれたようだ・
良かった・誰だか想像した人とでも縁があればそれでいい・つまらぬ事を言って夢を壊せば台無しになると・少しばかりいたずらをしてみた・
76)とんでもない体験だった~
この日も:いつもの様に週刊誌を読んでると《今、東京で若い女性に大流行り》これを飲むと気分がぶっ飛ぶようだ~と何やら面白おかしく書いてある、そういえばディスコでウエイターがその様なモノを飲んだことがあると言ってたような・
暇つぶしに試してみようかと通販で買ってみた<酒と一緒に飲むと>よく効くようだと書いてある・じゃ~何処かへ飲みに行ってそこで飲んでみよう・
天神エリアにある初めての店に入った・カウンターに座り・ビールと一緒に飲んでみたが別に何とも反応は感じない・まあこんなもんだろうと・もう一錠を追加ビールとで飲み・店を出た、中州で飲み直そうと100メートル程歩いた・・ここまでの記憶はある《その後の記憶が消えた~》
翌朝に起床すると、あれ~外出着のままで寝てる~部屋が散らかってる・どうしたんだろう・こんなことは経験がない、昨夜は何をしたんだろうか・あ~飲みに行って例の錠剤を飲んで店を出たが・そこまでしか憶えていない・・
慌てて何か手掛かりはないかとスーツのポケットを探ると<名刺が一枚出てきた>店名と女性の名前が書いてあるが・まったく身に覚えがない・何もかもが思い出せない・
夜になって名刺の店に行ってみた《いらしゃいませ~昨日はどうもありがとうございました》と妙に愛想がいい・話を聞けば・これ面白いからと<私も勧められて飲んだの~>伝票を書き間違えたりで何が何だか判らなくて大変だったのよ・
と言葉が返ってきた<いや~それはどうも申し訳ない・ゴメン>と平誤り、早々と店を出て次は行きつけの店に行ってみると、昨日は大丈夫だったの~すごく飲んでたみたい・どうやらべろべろ状態で深夜に来店したようだ・となると空白が3時間以上もある・他店にも行ってたことになるが・これは不明のまま~
《いくら飲んでもベロ酔いの経験は一度もない・ましてや・何処へ行ったのやら記憶が消えている》
これは恐いと恐怖心を感じた、こんなものは二度とやらないと即座に破棄した、これは今も市販されてる「ハイミナール系」の睡眠錠剤のようだ・好奇心もほどほどにしなきゃ~と反省・
苦い経験もしたようだし、博多にきて一年ほどになる・そろそろ大阪へ戻ろう~・
77)やっと大阪に戻って来た
仕事はアダルトグッズの延長になるが<三ヶ月位なら手伝ってあげると博多から男の子二人がついて来た>全国のパチンコ店や社員寮にカタログを送ったり・雑誌広告をだしたりで利益は3倍以上になった。
これでどうやらやってゆけそうだ・三ヶ月が過ぎて二人は新規採用と入れ替わった・受注作業は任せておけばいけるようだし、後は健康でアクシデントの無いように注意すればよいだろう・
昼間は友人に会いに行ったり・夜は日々飲み歩く・それもどこにでも入って行く・スナックのドアーを開いて中を覗いて逃げるのは失礼なので、マスターやおばあちゃんママの店でも・これは今日の縁だと・機嫌よく話を聞き時間を過ごす・
ある店で女の子から今度生まれ変わったらなんになりたいと質問された、えっ~一度もそんなことは考えたことがなかった・たとえ行きあたりばったりでも・その都度に試行錯誤をしながら懸命に闘って生きてきたつもり・
もう一度人間やるなんて、そりゃあ疲れるわ~もう十分だと思った・
この夜は坂町のスナックビルに入っってみた<ドアーを開くと店内が妙に薄暗い>コワモテのマスターが・いきなり一言・女の子が来てないので帰ってください・
と云われて店を出たが・何か変だ~この時間に女の子が出勤してないのはおかしい、マスターは素人ではない雰囲気だし・解った~キャッチバー(ぼったくり)なんだー
女の子は街中をウロウロしてカモになりそうな男性に声をかける<知ってる店があるので飲みに行きましょう>とかで誘い・一時間も座れば数万円は請求される・売り上げは店と女の子と半々に分ける。
これなら時給で働くよりもカモになる客を2~3人キャッチする方が収入になる、店側は何人かの女性を泳がし5~6組入れば10万超えの利益になるはずだ<給料も払わなくてよい>なるほど<店選びも少しは考えて入らなきゃ~と反省をした>
健ちゃんを迎えに行かなきゃ
時間と余裕が出来たので健ちゃんを迎えに行こう、貝塚市の病院に行き<保護者になります>と手続きを終えて退院させて貰った、仕事場で空いてる部屋と毎月18万円を渡すことにした、健ちゃんは酒が飲めないので飲みには行けないが、一緒に食は楽しめた・毎日機嫌よく過ごしていた・ところが三ヶ月後に蒸発した・
長い間の病院生活で考え方が変わったのかも知れない、病院では保護担当で優しくしてくれるおばさんが居て・付き合ってると言ってたが・それが理由ならそれで良いのだが、又遠くへ行ってしまったようだ・
78)株式投資をやってみた
仕事も遊びも落ち着いたことだし、他に何かやりたいことは?一度は株を経験してみたいと思っていた・じゃ~やってみようと・株式投資の雑誌を買い漁ってはにわか勉強を始めだした・
難波の日興証券が入り易かった・扉を開くと正面に8人程の女性が横並びの窓口で待機している・足の向くまま座って廻りを見渡す・あれ~一番ブスな女性の席だ~まあそんなことはどうでもいいやと・調べといた銘柄を300万円買った・賭け事の知識は多少ある訳だし、株の流れも少しは読み取れだろうと単純に考えていた。
そんな中・友人の中にグループ活動やあれこれと入会好きなのがいる<彼は〇〇の株が値上がりするらしい>と云う、どうやらこれをあちこちに触れ回っているようだ<彼はおいらが株をやりだした事を知らないので聞いて聞かなかったふりをしといたが>
銘柄を調べると長い間動きがなく<そろそろ動きそう~>株価も手頃だし・これも買おう・年末には両方合わせて税抜き1000万円の利益になった、彼のいった銘柄は3倍ほどに上がった<やはり株は操作だ~>
当然・多くの人が投資すれば値上がりをする、彼や彼の知人達が情報を広めて行けば・こういう事もあり得る訳だ~この様なあぶく銭を稼いだ人達が《ベンツに乗るのか~》と思った。
新しい年を迎え何か値上がりしそうな銘柄はないだろうかと探すと・これはイケそうだ~とある銘柄を買った、3月になっても何ら変動もなく・月末に証券会社の担当女性から電話が来た・なんだろうと思いつつ話を聞けば。
買った銘柄は値上がりしそうにないので・買い換えたらどうですか?と言う<そうなのか~う~ん解った>そう言われると信用するしかないのかな~じゃ~買い換えようと<売って他の銘柄に買い換えた>
翌日の夕刊紙を見ると<ア~売った株が一日で倍以上の値上がりだ~>次の日も又次の日も一週間で3倍以上に値は上がった・担当女性からはすみませんと謝りの電話が来たが、どうも納得がゆかない~友人にこの件を尋ねると・
証券会社の担当者は歩合制の月末決算で・その月の成績を上げるために電話を寄こしたようだ・これは違反行為に当たるらしい、結構な利益だっが責めてもしょうがないので連絡はしなかった・こういう事もあるんだ。
証券会社も大口投資家も何がしらの操作で利益を得るものだと思っている・大量に買えば株価は上がる・資金力がある程に操作はたやすい、資金力がなければグループで適当銘柄を買いあさる<どちらにせよ人為的に操作できるのが株だ>
近年:株はアメリカ型の投資スタイルに変わった《国策で企業利益を優先させる》銀行利息を下げ➜株式投資を推進(預金から株投資)➜企業資金は潤い繁栄➜法人税収の増益➜国の財政が良くなると・判断したようだ。
だが庶民は企業利益優先になり・電気製品や車の値引き競争は無くなった・昔の<新品価格と今の中古品価格>が同程度になっている、若い人は車を買えない・街中で新生活を始めたカップルが中古品を眺める姿を見てると可哀そうに思える、かろうじて100均やネットの中国製品に救われている。
《アメリカに似た格差社会になった・なのにアメリカよりも株主還元は低い》
孫正義と前澤友作
この二人は面白い:2019年後半に前澤ZOZOはヤフー傘下に入り・前澤氏は保有株売却で2400億円ほどを手にした<もし売却が無ければ>新型コロナ感染症の影響でZOZOは赤字経営へ転落し維持すらも困難に陥ったはずが・絶妙のタイミングで孫正義氏から買収の声がかかった(前澤氏にはツキがあった)
孫正義氏は投資家に代わっている、アリババ創業時➜馬雲(ジャック・マー)氏に2000万ドル(約24億円)を投資➜ニューヨーク証券取引所に上場した時は➜時価総額25兆円になった➜これを機に投資家として大きく動き出す。
ところがその後の投資は鳴かず飛ばずのクズネタ買い、おまけに新型コロナで損失の連鎖となり数兆円の赤字報道になる、そしてS・Bグループは21年度2兆円超え・22年度3兆円超えの大赤字を出すが<なぜか倒産しなかった>
ジャック・マー氏はその後に中国で失踪報道が流れたが➜2022年には日本滞在中(孫さんと仲良し)
なぜ倒産しないのか・からくり
そこには政府の思惑が絡んでくる:貯蓄から株式投資を推奨する最中に<ソフトバンクが倒産すれば>多くの株主が損失を被り混乱が生じる「投資は危険」と判断され思惑が外れる<それよりも国の機関も運用資金としてソフトバンク株に流れている> 当然の如く政治家の個人資金も大いにある・
《倒産させると年金が払えなくなるのだ~と言う訳で九死に一生を得る~昭和の時代なら倒産 》
世界を動かす人達
投資家➜証券会社➜銀行➜国➜その上に世界のマネー市場を動かす人がいる《金・ダイヤモンド・株価・為替相場》を操作している・それは一種の安定にも繋がるのだが・得る利益は多大なり・フリーメーソン・イルミナティも・
そのTOPの居住地は一番安全な国スイスに住む・スイスは人口比率で100%以上の核シェルターを持つ・公園のシェルターには食料備蓄まである<お金には困らない>
銀行の生い立ち
その昔:商人達は泥棒からお金を守る事に頭を痛めていた、そこである男が牢屋の様な頑丈な金庫室を作ってお金を預かり、保管料を取ればと発想した<そして預かり証を渡し・お金を保管しだした>
ところがお金は増え続けて金庫室が足らなくなり、新たに金庫室を作ってもお金は増える<そこで又考えた>お金を貸して利子を貰おう・利子を得れば・例え逃げられても補えるはずだと・ここから銀行は始まった・
79)ニューヨークへ行ってみよう
どこへゆこうか
仕事は任せておけばそれなりに動く・時間はある・友人は仕事で忙しい・何か学べることはないかな~旅行にでも行ってみようか・国内は宮城・山形・新潟・秋田・岩手県以外は何かしらで足を踏み入れている、じゃ~外国に行こう・いつもニュースになるニューヨークなら見聞も広まるだろうう と言う訳でニューヨークへ、
当時は伊丹空港からの出発➜JFK空港に到着➜マンハッタンまではエアトレインと地下鉄を使って移動するが、キョロキョロと案内標識を見つけながら➜無事マンハッタンに到着した。
まずは泊まるところを確保しなきゃ~通りにあった格安ホテルに5日ほど予約をして入室・やっと着いたとホッとする・それじゃ~早速・街を散策してみよう
<外に出て歩き回ると街は碁盤の目のように区画されていた>
やはりアメリカは開拓地だと実感をする、植民地時代から1776年にアメリカ合衆国を建国・都市計画に基づいて造られてたので此処マンハッタンも・東西は約300m・南北は約60m間隔と解り易いが、いざ歩いてみると・ビルばかりでさすがに疲れる・こりゃ~地下鉄を利用する方がよさそうだ・
夜になってレストランに入ったが<一人客はおいらだけで周りはみんなカップルだった>どうやら入る店を間違えたようだ、少しばかり高級店のような・それなりのモノを頼んで食べたがあまり美味しくはなかった、やはり大雑把で適当な味だ、ガイドブックにチップはメニューに挟むと書いてあったのでそうしたが、ウエイトレスは無表情でお運びロボットのようだった。
<普通の食堂が見つからない、ホットドッグ・マクドナルド・ケンタッキーの類が食堂になるのかな~>
翌日は当時世界で最も高いビル・エンパイアステートビルに行ってみた・1931年に竣工443m・102階建て、そんな昔によくもこんな頑強なビルが建設できたもんだと驚いた、子供の頃に一番大きな建物はデパートだったがそれと比べると月とスッポンほどの違いを感じた。
中に入るとエレベーターはさすがに古いが、屋上の高い所からニューヨークの街を360度一望すると・なにか小さな征服感を感じる~これは気分がイイ~
このエンパイアステートビルは1991年に赤坂のホテル・ニュージャパン所有者・横井英樹が(中原キイ子・愛妾(めかけ)を介して、当時としては破格の4000万ドルで買い取った:そんな時期もあった 。
行ってみたいところは
それは『スラム街だ』危険だから行っては『ダメ』とガイドブックに書いてはあるが・だから気になる・育ちからしても身近にも感じる・スラム街を舞台にした恋愛映画『ウエスト・サイド・ストーリー』(監督スティーヴン・スピルバーグ )が思い浮かぶ、17歳で観たこの映画は生涯で一番の作品だ~
スピルバーグ作品は第一作の『激突』から色んな作品を見せてもらった、彼の映画はハートがあるので想い出として残る・いつも感動をプレゼントしてくれる・素晴らしい・
バック・トゥ・ザ・フューチャー
この映画(監督スピルバーグ )の主演マイケル・J・フォックスは 29歳の若さでパーキンソン病(神経変性疾患)になった<原因は明白だ>彼は幼少時からジャンクフード(ポップコーン・マクドナルド・ホットドッグ・ケンタッキー・コーラー)が主食だと自慢をしてたが<ポップコーンは特に有害だ>アルミの神経毒性は脳障害を引き起こす可能性大なのだ。
あるTV番組で料理家がアルミホイルを使った料理を作ってたので驚いた~<アルミに熱を加えれば有害物質を発生する訳だが>ところが産業界等はいつもの如く一定量を守れば安全>だというが、これが蓄積されればどうなるのだろうか。
電子レンジはどうだろう・電磁波を送り固体の中央部から熱を発生させる<栄養素の97%は消失・発がん作用>とマイクロ波の生体影響は少ないとはいっても・無害とはいえないのです<疑わしきは使用しないが無難>《経済界は・普及定着したモノは不問にします》 『電子レンジの調理でエサを与えた・実験動物はみんな死んじゃった』と言う例もあり。
食の安全とは言うけれど
今は化学合成添加物(自然界に存在しない化学物質)を口にしないことの方が難しい、ガンは1981年から死因の第1位になったけど、それまでに癌は余り知られていなかった<今では若年層までガンになる>子供の頃から「合成添加物」の多くを口にしている。
日本・韓国・中国は農薬大国だ(欧米の3~5倍)インドの30倍・元々癌が増えたのは専売公社の食卓塩(加工塩)と過去の・味の素からだと言われていたが・1997年に塩の専売制度が廃止になり自然海塩が販売できるようになった《国は気が付いたようだ》
農薬除去は<https://scallop-powder.グッドライク情報.com/home/>を参考に
塩の選択が大切
精製塩(99%は化学物質の塩化ナトリウム)ではなく自然海塩(海水を自然乾燥)を選びます・特別に高くなくてもイイんです・岩塩のピンクソルトは血圧が上がりました(自己テスト)ピンク色は鉱物(鉄とかのサビ)が数億年の蓄積で含まれているようです、やはり古い物は良くないと判断しました。
肉類はドキュメンタリー映画
『フードインク』を見れば実態が解ります(アマゾンプライムで観れる)アメリカ周辺国の牛・豚・鶏肉の生産過程がいかに酷いかをご覧できます・アメリカ牛と<オーストラリア&ニュージランド牛は別物です>オージとニュージは<自然飼育>です・少しは固いけどこちらを選ぶがベスト。
BSEや口蹄疫が発生していない・賞味期限は長い・値段が安いのは自然飼育で牧草・なので費用がかからない・牧草の臭い取りは・下味を漬ける・玉ねぎのすりおろし・酒・ワイン・炭酸に30分漬ける・ お湯を通す等の工夫をします。
癌は恐くはない
家族が癌だったから遺伝するかも?遺伝はしません<同様なモノを食べているからです>食物・調味料が同じで飲みモノも共通してる、それらの要素を見いだせば良いのです。
<病気も健康も自身が作る>全ての要因は食にあり<合成化学物質を含む食品>調味料・缶ジュース・加工肉(ハム・ソーセージ)等を辞めれば<ガンの心配は・ほぼ要らない>健康か病気か・どちらを選ぶかは本人次第・
三人の友達が肝臓ガンで亡くなりました、二人の共通点はお酒を飲む時に余り<あて>を摂らない、一人は体に良いからと医師の勧めで月に2~3回点滴を打つようになり・6年で亡くなりました・点滴は化学合成分を含む・サプリメントも同様です《三人の共通点は他人の意見を聞かない》
乳酸菌とビフィズス菌
コマーシャルでビフィズス菌が数百億個:配合と歌ってはいますが<これらの菌は体内吸収しません>何本飲んでも体調効果は感じないはずです<さっぱり感を楽しむドリンクと考えましょう>善玉菌・悪玉菌とかの作り言葉に惑わされないように・
健康飲料・ポカリスエット等はどうでしょうか?水分補給で飲むならば、ミネラルウォーターに自分に合った分量の塩と砂糖を入れて自作すれば良いのです。
コマーシャルマジック:食品選びにTVコマーシャルをイメージする人は多い<これが落とし穴>TV局・新聞・雑誌は企業広告からの収益で運営してる・なので<商品の良し悪しは関知しない>
と言う訳でスラム街へ
それでは行ってみようかスラム街・服装はジーンズと半袖シャツ・時計は外し財布は持たず・小銭は靴下の中・これで大丈夫だ~『捕るものがなければターゲットにはならない』これが自論になる~
地下鉄で当地に着いて、足の向くままに歩いていると道端に12人程の男達が集まってガヤガヤとしてる、何かな~と覗いてみると街頭博打をやっていた。
折りたたみテーブルの上に三枚のカードがある<その中に印の付いたカードが一枚>カード三枚を手に持ち指先で左右に置いて行く<これを何度か繰り返す>さあ~印の付いたカードはどこだ?当てれば掛金が2倍だ~
<これは8才の時・母に連れられて下関港の船着き場に行った>この時もやはり大人達が固まって騒いでいる、なにか面白いことがありそうだと・中にモグリ込んで見るとカード賭博だった。
大人たちは上から見るが、子供のおいらは背丈が低いので手先と目線がほぼ同じ、カードを動かす指先のテクニックが丸見えだ~目印のカードは100発100中・だが上から見ている大人たちは・惑わされて解らない・
この時に指先のテクニックを覚えたのでおいらはうまくできる、バーテンダーをやってる時にお客さんに何度も披露して遊んだことがある、なので参加すれば的中できるが・ここは観るだけ~
こういうゲームは世界共通なんだと思いつつ、周辺を歩いてはみたが人通りも少なく閑散として殺風景だった、多分夜になると少しは変わるのだろうが<ある程度の想像はつくのでひと回りしてスラム街は終了>釜ヶ崎もそうだが現在はずいぶんと治安が良くなってるとか・
自由の女神は何処だろうと地下鉄で南端の駅に行き着き、公園を歩くと海が見えて遠くに自由の女神(フランスからの贈り物)が建っていた、無料フェリーで渡れるようだが乗り物酔いをしたくないので眺めるだけにしよう。
公園は新緑の季節で気持ちがイイ、ベンチで昼寝をしてる人がいる・歩いてる人も結構いる・あれ~冬物のコートを着てる人とTシャツ姿の人がすれ違っている・どの人も服装はバラバラで何か笑える・
誰も気にする様子もなく素知らぬ顔でごく自然に歩いている、何かしらアメリカの一面を見てるような気がした・人は人で自分は自分《干渉はしない》
セントラルパーク
ホテルを出て5分も歩くと信号の向こうに広範囲な樹木が見えた・信号を渡って広い歩道を歩いているとなんと警察官が馬に乗ってこっちにやってくるではないか・そばで見ると馬がデカイ・競走馬サラブレッドの倍ほど馬格がある立派な馬だ・警察官は胸を張り・馬も誇らしげにカッポしてる・ここはセントラルパークだ・
公園に車は入れないので馬に乗ってパトロールしてるんだろうか<西部開拓史の名残を感じた>公園に足を踏み入れ取りあえずは行けるところまで行ってみようと歩きだした・
広い園内にはジョギング・バスケ・テニスをする人達やベンチに座ってる人とか様々な風景だ、園道はアップダウンあり森林ありで広すぎる、途中まで歩いたが端までは無理なような気がしたので逆戻りした・
すれ違うジョギングの人からグッドモーニング・ハローと声がかかった・へえ~なんと気さくなんだ・遠くで野球をやってる人達もいる・樹木を眺めながら芝生に座り一休み・
後で調べるとセントラルパークの広さは東西800mX南北4kmだった(4kmは梅田~難波)こりゃ~端まで行かなくて良かった・スポーツ広場と動物園や湖でボート遊びが楽しめるほどの広さがあったとは・
一度は観たいミュージカル
と言う訳で劇場の近くに行くとやはり行列になっている・昨日もそうだった・何やらぺちゃくちゃと喋っていたり・どの人も自然で苦にならないようだ、アメリカの人は並ぶことに抵抗が無さそうに見える、公演中はアメリカ各地からやってくるようで<やはりニューヨークは憧れの観光地なんだ>三度行ってみたが諦めた・一人で並ぶのは難しい・
マンハッタンの5日間は地下鉄と歩き廻りで結構疲れた、昔この地はハドソン川の沼地だったとか、それを埋立てて現在のビル街に仕立て上げたようだ<よくもその時代に出来たものだと感心する>五番街も歩くだけ歩いた~お土産にGOLDのブレスレッド一つだけ買った・もう帰ろうか~<カメラは持って行かないので写真は一枚もない>アハハ!
80)行きあったりばったりの人生
帰ってくると弟が19才の奥さんに捨てられて行き場を失っていた、不動産屋の友人に何処かに店舗はないかと頼むと西中島に居抜きの喫茶レストランがあるというので内装を変え・そこを任せることにした。
友人が私書箱をやってくれないかというので難波中にある6階建ビルの6階で始めることにした、そこはワンフロアー90㎡の事務所だった・二人の事務員に来てもらい始めた・ワンフロアーなので三面が広い窓ガラスになっている<明るく見晴らしも良く快適だった>以前の借り主は宝石商だったとかで金庫・机・椅子が残されていたがこの机と椅子には驚かされた、
机は35万円・椅子は革製28万円でリクライニングシート・イタリア製だとか、こんな高価な机があるとは知らなかった、天板は一枚板ではなく細かく貼り合わせのデザインだった、宝石商ってのは感覚が違うんだな~
座り心地の良い椅子に座り<のんびりと過去の経緯を思い出しつつ>ワープロに打ち込んでみた・仕事は子供の頃の納豆売り~新聞配達~アルバイト~勤務~自営まで全部含めると46回になってる・水商売を転々とし・行きあったりばったりの人生だ~
バーテン時にお客さんにどんな人生を歩むんだと聞かれた時、決められたレール上の人生ではなく・途中下車して気に入れば・そこで一生遊べればイイかな~と答えたことがあった。
転居数も生誕から数えて45回だ~これもしょうがないかな~故郷を追い出され博多には自分の生きる場所がない・人は生まれた境遇と環境で人生は決まるようだが、これも運命・あれも運命・気にはしない~
飲み歩いて
飛び込みで入ったラウンジで・席に座るといつも愛想よく振る舞ってくれる女性がいた<彼女は店を辞めてスナックを開店するという>それでは <愛想のお返しに>何かプレゼントをしようと考えてみた・開店祝いの花とかは誰かさんが贈るだろうし~モノよりも形はないだろうか。
何にしよう<オープンして一番欲しいのはお客さんになる>ならば店の広告を出してみよう・酒飲みはいつも新しい店を探してはいるが<初めての店には入りにくい>ましてや出張で来阪すれば飲み場所は限られる。
と言う訳でとスポーツ紙に【スナック開店しました初めての方大歓迎・明朗会計・飲みに来て~・三ツ寺筋00ビルスナック000+TEL】このような広告を一ヶ月プレゼントしよう。
開店から一週間ほどして行ってみると店は流行っていた<その中に一元のお客さんがいるのかは解らない>データとして知りたかったが、広告の事は言わなかった<彼女はずっと知ることはないだろう>
スナックの広告は余り見たことがない、色々と聞いてみると一軒だけ答えがあった、以前に出した人がいたが広告代と売り上げがトントンだったので辞めたと云う・
トントンなら上出来だ~リピーターになってくれればその分は利益になる~それが店側の手腕のはずだが・まあ~人それぞれ考え方は違うからな~
<商いごとは新規客が来なければ発展は望めない>