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91)子供の将来を考えてみた

出産も終えて三人で大阪に戻った<一人増えたぞ~>新生活の始まりだ~子供の顔を見る度に安心感と幸福感が湧いてくる、親は子供のためなら何でもできるんだろうな~やっと親の気持ちが解ってきたような・そんな日常を味わえた・

優星は日々育っていった・・最初に買ってあげた玩具はハーモニカだった、これほど小さくて多機能な楽器はない<赤ん坊でもできる・どこででも鳴らせる>音楽に興味を持ってくれれば・・

出生時から息子名義で預金通帳を作っといた、一年目は毎月一万円・2年目2万円・3年からは毎月3万円になった、これを積み立てて20才になったら自己資金として渡そう。

これも考えていた、中二になったら100万円を渡し株を始めてもらう、それは資本主義構成を実践で学ぶことと<現金と投資金は別物>将来に何かで利益を得たとしても<成金趣味>になって欲しくないとの思いがある。

子供は覚えが早い・言葉でとやかく教えるよりも中身を知れば知恵もつく、20才を過ぎれば億単位になる可能性もあるが、これは現金とは違う。

肝心なコトも

人の道にはやって良い事と悪いことがある<頭に入れておくべき事を教えておく>物心がつき・いざその場に立たされた時に迷うことなく<YES・NO>の分別が出来るよう・せめて教訓の十ヶ条は必要だと考えていた。

博多に連れて行った

優星が少し成長したので新幹線でおふくろに会わせに行った、生まれて間もなくに大阪に出向いてくれた時もすごく喜んでくれて<初めて親孝行ができたような気がした>占い師に診てもらったとかで、生まれた子はすごくいい子だと言われて上機嫌だった。

実家は博多ベイサイドに100m程で行ける、遊園地が出来ていたり丸型の水族館があったりで楽しめる、余程気に入ったのか夕暮れになっても帰ろうとしないので、帰るふりをして片隅に隠れて見たが、その場から動こうとしなかった、息子は結構・自分の考えを通すんだ~

翌日は福岡ドームに野球を見に行った、まだ意味が分からないので雰囲気だけを見せて一時間ほどで帰ったが、博多は気に入ったようだ。

その後も、志摩スペイン村・伊勢神宮・六甲山牧場・金剛山にはよく行った・淡路島ホテルは部屋から花火大会が観れて格別だった・金沢・能登半島には以前から行ってみたいと思っていた、流石に百万石だ~漆の木はアジアにしか生息せず、日本が最北で質が良いとか・

江戸時代にヨーロッパへ漆器を輸出したとき、欧州の王侯貴族達は漆の奥深い「漆黒」を神秘的だと宝石と変わらぬ価格で取引されいたという、それほどに魅了される品質だと感じた。

92)また引っ越しだ~

3年が過ぎた頃に時々優星が咳をするようになっていた、おいらもここに住みだして二年程して喉の調子が変だった、通路・西側の窓縁を調べると<ススが溜まっている>遠くを見渡すと10㎞ほど先に大きな煙突から白っぽい煙が風に乗ってこちらの方向に来ている。

調べてみると住之江区に市のごみ処理施設があり<そこからの煙だった>10階部屋で途中に障害物がなければここまでくるんだ~こりゃあ大変だ~おいらはまだしも子供に影響している。

すぐに引っ越しだ~阿倍野区の不動産屋を廻り、たどり着いたのが近鉄線今川駅前のワンフロア・マンション90平米だった・7階建て各一室なので風は4ヶ所から入る・2階なのでエレベータも階段でも使えてこりゃ便利だ~家賃28万だった<部屋は何かに使えるかもと置いといた>

この時・不動産屋に火災保険は?と尋ねると、すいません置いてないんですと言われた、通常は不動産屋の方から火災保険の申込みを勧められるはずなんだが?

引っ越し後に近くを散策するとのんびりとした感じの町だ~たまに電車通いをすると地下鉄と違い高架線は風景を楽しめた、住みだして3ヶ月が過ぎた朝だった<あれ~どうしたんだろ>この部屋が火事になるかも知れないと予感がした。

消火器を買いに行こう

ホームセンターに行き2種類を選んで購入した、一つは火元に投げれば消火できるとかで、彼女に消火器の使い方を教え<火元は解らんけど・この部屋は火事になるかも知れない>と伝えた。

初の飛行機

優星3歳の夏がきた・まだ行ってないところ、宮古島に行こう、ホテルの裏側は砂浜のビーチだった、透き通った海水で気分が良い・人もまばらで太陽は眩しく輝いている、やはり南の島だ~

子供は日増しに成長する、楽しみだ~あっちこっちへと連れて行きたい、車は外が見渡せる車高が高いのに買い換えよう・日産ラルゴ4WD(現エルグランド)これなら安全性も高く窓から景色が良く見える、12月7日に納車された。

当然の出来事!

12月に入りクリスマスが過ぎた27日の土曜日だった、午後2時頃に携帯が鳴った、でると知らないおばちゃんが慌てた声で ”あなたの家が火事になってますよ” だった・・

急きょ電車で帰った<これほどに時間を焦ったことはない>着くとすでに鎮火状態になっている・消防車の到着は早かったようだが、消防隊員に状況を聞くと“全焼”ですといわれた、部屋に入ると真っ黒になっていたが<延焼はなかった>

何も知らぬ優星は室内を見ながら・いいな~と言っている<これはね火事といってみんな燃えて無くなったんだよと伝えた>原因は天ぷら鍋のようだった、妻と焼けた室内を見てると足元に小銭の貯金箱が割れていくらかの硬貨が黒焦げになっていたが・彼女はそれを拾おうとしなかった。

400枚のレコード盤とDenon プリメインアンプ・MARANTZ CDプレーヤー・YAMAHA -1000M &Harbeth& Sonus faber/Minima Amatorのスピーカー・Technics ターンテーブルでもう聞けない・火事の現実を知る。

翌日に迷惑をかけたご近所や上階の人に二人で粗品を持参し<謝罪に廻った>人って様々なんだと教えられる>この時は妻に謝罪の大切さを身をもって教えたかった。

難しいことは考えてもしょうがない<気を取り直して進もう>そのままにしていた玉出の部屋に戻れたのでジタバタせずに済んだ。

93)突然二人は居なくなった

正月が過ぎて妻は優星を連れて実家に帰った、3日後に戻ってきて引っ越し先を探し阿倍野セレサに決まった、この時に大型テレビを2台買った、一台は優星と映画を見れるようにとの思いがあった<玉出のマンションは賃貸にした>

引っ越し後2週間ほどだった<仕事を終えて帰ると二人の姿が見えない>部屋の様子も何か変だ~優星の衣類やオモチャがない(ハーモニカだけが残っていた)テーブルの上に離婚届が置いてあり・すでに名前は書かれている。

これは母親が来阪し・連れ帰ったのだと推測できた

何がどうなっているのか混乱した<意味が解らない>この状況は電話では無理だ~二日後に高松行きの列車に乗り<車中で考えてはみたが解らない>どちらにせよ親権の問題や子供との面会のことなどを話し合わなければ・・

約束の時間に合わせ丸亀駅からタクシーで到着・家に入り妻の姿を見ると黙ってままで言葉はない、母親も正面で話し合おうとはせずに一言だけ火事になったのは夫婦仲が悪かったからでしょだったが、この言葉には正直・驚いた

お父さんは話しかけても黙って去って行く、どうやら母親が全権を握っているようだ

子供のことよりも自分達の勝手な判断としか思えない、何ら説明も出来ないようだし、心の準備が出来ていないのかな~この日はこれで帰った。

一週間後の約束日に行った、玄関の戸を開こうとすると鍵がかかっている、え~どうして・その時に警察官4人がやってきて声をかけられた<今日は帰ってください>

どういう意味なのか解らず、子供に会いに来たと警察官に説明すると<家に入れないでくれ>と依頼があったという。

<信じられない行為に感じた>どうにもならない<又、帰るしかないようだ>この時に彼女に一言だけ<お金の貧乏は構わないが・心貧乏にだけはしないでくれ>と告げた。

離婚の理由は難しい<それぞれに思惑がある>彼女の預金と優星の預金とで300万は有るだろうが、そんなものは使えばすぐに無くなる。

秋葉ちゃんが心配してくれ、他人の私なら落ち着いて話しができるかもと、足を運んでくれたが、説明をすれども逃げ腰で話が通じないと言う・・

知り合いの弁護士を紹介してくれた、一週間後に弁護士に経過を聞けば、要件を進めようと電話をすれば何度も切られたりとかで、常識外の人のようだと・・

仕方なく丸亀市で離婚調停を申し込んだ、一月後の約束日に彼女は来なかった!なんとも難しい・調停も幼子がいれば女性有利になる。

子供の前で言い争いだけはしたくない、どちらかに決断するしかないんだ~辛いが預けて様子を見るしかないのかな~そんなんこんなんで子供と離れるようになってしまった。

<息子は一冊の本も無い家で育てらるのか~残念だ~>

94)生き地獄のような思い・・

子供を亡くした親の哀しみも理解できるが<子供がいて会えないのは生き地獄のようだ>人生で一番つらい思いを経験することになった!何をどうすれば良いのか見つからない・自分の居場所が定まらない・ただ茫然と空を見上げる・

日々そんな思いが続いた、優星を楽しませようと買った新車は売ることにした、まだ1,000Km程しか走っていない<この車を売る時の侘しい思いは言葉にならなかった>一人トボトボと帰り道を歩く・自分の姿は影もないような・・

とりあえず決めたことがある<子供が5年生になった時に会いに行こう>おいらが一番つらかった頃だ<その時に幸せな環境でなければ引き取ろう>会って顔を見れば判断できる,それまで辛抱しよう・・

自分を責めてもしょうがない、何とか気持を切り換えなきゃ~同じ空の下では気持ちが沈んで抜け切れない・・空を変えよう~外国旅行にでも~

ヨーロッパに行ってみよう

当日は関空➜羽田➜ロンドンへ旅立った~機内の小さな窓から眼下の雲を眺め・ヨーロッパを想像すると映画のシーが思い浮かぶ

95)日本の近代化を創った若者達

左上(遠藤謹助27才)左下(井上肇28才)中央(井上勝20才)右上(伊藤博文22才)右下(山尾庸三26才)《日本の近代化はイギリスが基になる》

此処にも隠された歴史の史実がある

伊藤博文が国家建立の為に法律を学んだのは必然的だった!

<博文は率先してイギリスに渡り・法律を学び帰国した>

長州藩士5人衆が居なければ日本は欧州連合の植民地になっていたようだ。

《もうひとつ衝撃的な歴史の真実がある》

このフルベッキ写真が証拠になった!

大室寅之祐が明治天皇になる・これは衝撃的だったが内容は省くことにする。

ロンドンのパブ

市内にはパブが3000軒程あり歴史も古く:ザ・プロスペクト オブ ウィトビーは創業1520年:ザ スパニヤーズ インは1585とか<日本では室町時代土一揆が起こり>豊臣秀吉が1537に誕生している。

そんなパブ内はお客さんの賑やかな話し声で音楽は聞こえないほどとか、見聞に行ってみたかったがツアー旅行なので単独行動は控えることにした<残念>

ウイスキーの発祥地

1918年:竹鶴政孝はウイスキーの聖地であるスコットランドに製造技術を習得に行った、それが今では日本のウイスキーが<一番うまい>と云われるようになっている、サントリーの鳥井信治郎と切磋琢磨に励んだ結果・双方ともに《ワールド・ウイスキー・アワードを受賞》している。

ウイスキーは醸造と蒸溜・貯蔵には数年~20年以上もかかる、巨費を投じてもこの期間に利益はない、昭和の時代は日本のウイスキーはスコッチウイスキーの安いモノを輸入・混ぜ物のブレンドウイスキーだった・今は全て自社ブランドだ~

96)イギリスからフランスへ

ロンドン~パリへはユーロスターがある<これは楽しみだ~>

ドーバー海峡の海底トンネルを抜けて3時間以内でパリの中心部に到着するようだ、座席もゆったりとしている・のんびり気分で景色を眺めると~高い山はなく~ゆるやかな丘陵が何十㎞と続いてゆく~田園カラーも色とりどりに変わるのは作物が違うのだろう~それにしても広大農場だ~

フランスは世界で一番かな国では?と思えた~

食料品が格安で食べ物が豊富なら人の心は穏やかになる・しかしいつも満腹なら<あくせく働かなくてもよい>つまりは怠け者になる・・アッハッハ・・

それにしても国土の68%が森林でありながら、輸入木材が70%以上とは農林水産省は成長発展能力に欠けているようだ~食料自給率が上げれば少子化も解消できる~のだが・・

車内ではあれこれと・思いを巡らせながらも、この景色は二度とは見れないだろうと・ず~と眺めていた・

パリ駅に到着した構内はロンドンよりも賑やかな雰囲気だ~

駅構内を観察しながら外に出るとバスが待ち受けている、ツアー旅行は楽だ~バスは凱旋門・エッフェル塔を廻ってホテルに到着、今夜はナイトショーの見学があるので正装して下さいと言われ・スーツに着替える。

ムーラン・ルージュは映画「ヨーロッパの夜」を観て知っていた、ショーガールは身長175cmに揃えているとか、煌びやかに踊るのだが演劇のようにストーリー性がないので余り興味は沸かなかった。

翌日は世界最多の入場者を誇るルービル美術館だ~全部廻ればハーフマラソン距離21Kmほどあるという、なので人気の展示だけを見ることに、やはり目玉はツタンカーメンだった~古代のモノは現代美術よりも見ごたえがある・・

この頃のフランス人の食生活は昼食がメインだとか<ワインを飲んで2時間ほど休憩>商店はシャッターを下ろす、なんとも優雅な~現在は多少変わってきているようだ~

ワインフランスでは子供の頃から飲んでいたが今は消費量が減速している<がんの発症率が高いと政府の公表があった>

ワイン愛好家で有名だった川島なお美さんは胆管がんで死去した(54歳)ワインの飲み過ぎといわれている、フランス国内の飲酒量は減ったが東南アジアや中国では一足遅い・憧れ思考で輸出は増加しているようだ。

97)フランスからイタリアへ

イタリアへは空路だった

<ローマは一日にして成らず>700年の歴史で築いたローマ帝国はさすがに観るべきところも多彩を極める。

街全体が世界遺産に登録されている『フィレンツェ』カトリックの総本山『バチカン市国』『システィーナ礼拝堂』

水の都と呼ばれる『ベネチア』『大聖堂ドゥオーモ』『パンテオン神殿』と歴史を感じる。

スペイン広場から歩いて10分ほどでトレビの泉があり、年間に約1億6000万円ほどのコインが投げられるとか・当然の如く手持ちのコインを投げ入れた 😊

コロッセオはローマ帝国が西暦80年頃に格闘技公開処刑場として造った 娯楽場(約5万人収容)で<奴隷同士の殺し合い・人と猛獣の戦い、他>これは映画『ベンハー』等を観て知っていた・後には『グラディエーター』がある。

日本にも江戸時代は罪人を十字架に<はりつけ><火あぶり>公開処刑が行なわれていた、これは日本を建国したイスラエル支族が残した刑罰なのだろう。

ローマからナポリへ

高速バスで2時間程だった~途中でワインを飲むので¥500を用意してくださいと言われ、着いたレストランでは全員のテーブルに一人1本のワインドンと置かれた~昼間からそんなに飲めるわけがない~安さには驚いた!

何もない平野を走っていると古びた団地らしき建物が幾つか見えてきた、バスガイドは貧困層隔離した団地だと説明してくれたが<これは疑問に感じた>貧困層だけを集団生活させれば子供達はその環境から抜け出せないのでは

スリ集団に襲われた~

翌日はフリータイムで一人で出かけた、通りを歩いていると小さな宝石店が目に付いた~何か目新しいデザインでもあるのかな~と5分ほど眺め見た後・・5~6メートルほど歩くと・左肩の後ろ外側に撫でるように~誰かが触った・・

一瞬 頭を左に向けた時:腹のへそ位置違和感感じた右手素早く払いのけた~下を向くと一番安全な場所だと思い 腹部に付けた・ウエストポーチのチャックが半分開いている・僅か2秒半程だ~3秒なら抜き取られていた~!

左右を見ると6~7人ス~と離れて行くような~(囲まれていたようだ)抜き取り役は訓練された子供なんだろう・・盗ったなら即座に次の者に渡してゆく~数人が役割分担している、これは高速道路から見えた団地の人達なんだろうな~と思えたまさに瞬間だった・・ 

その後:映画「ローマの休日」で知った『真実の口』を見に行き・口の中に手を入れたが 😨 噛まれることはなかった・Ahaha

ポンペイ遺跡

海抜40mに造られた古代文化都市ポンペイは人口約20,000人:街には商店・酒場・レストラン・男女別の浴場・クリーニング・パン屋から高級住宅・下水管&配水管までも整えられていたという。

一昼夜にし火山灰で包まれてことで建物・芸術品・壁画も2000年前の姿で残されることになった<発掘される1700年もの間・地中に埋もれていた・・>

ポンペイの人達優雅生活を送っていたようだ、食文化では口で噛みながら<栄養素>だけを吸収し・残りは別容器に吐き出していたという、これなら消化器官を傷めずに健康・長寿の秘訣かも <ここは印象に残った>

<学ぶべきことも色々あったが、旅は終わった>😊

98)ケニヤに行ってみた

2週間ほどが過ぎた~日常に戻るとやはり子供のことが気になりだす・・この際又何処かに行ってみようか~もっと遠くへ・そうだ~一度は行ってみたいと思ってた~アフリカケニアに行ってみよう~

旅行会社を調べるとアフリカ行きは専門の旅行会社になるみたい、やはり旅客が少ないんだ~早速に申し込んだ・現地ではツアーガイドにおまかせ~これで安全に旅ができるとか。

旅支度だ~ヨーロッパと違って服装は普段着でイケる~ジーンズ3本と上着はセーターとか余分(それには考えがあった)そうだビデオカメラだ~ソニーDCR-VX1000・これでヨシ~

飛行機は関空➜仁川➜インド➜ナイロビへと乗り継ぎだった

ナイロビの空港に着いてタラップを降りる、ターミナルビルまで距離があったので空を見上げると雲が近くに見えて空気が透き通っているような~・息を吸うとかすかに土の臭いを感じるがさして異和感はない・・

強烈な日差しで暑いのかと思いきゃ~カラッとして凌ぎやすい・アフリカ大陸は標高200~1000mの高地になるらしい・

到着ゲートの通路に名前を書いたボードを持ってる人がいた~挨拶を交わし、ついて行くと小型マイクロバスが待機してた、すぐに60代の母親と30~40代の娘3人が乗車して来た、どうやらこのメンバーで出発のようだ~

現地ツアーガイドダン君は32歳と若かった・気が合いそうだ~日本語を話せるとは勉強したんだろな~今からマサイマラ国立保護区へ行くとか・距離は258km・舗装道路はわずかでガタガタ道が多く10時間ほどかかるかも~

道中は山間部で緑が多い・景色に見とれて時間を忘れる~アフリカは食料不足で飢餓が多いというが、これだけ緑に囲まれた土地なら農用地にすれば解消できるはずなんだが~なぜやらないんだろう~怠け者が多いのか指導者がいないのか~と・考えてしまった。

マサイマラに着いたぞ~

マサイマラ国立保護区は大阪府と同じくらいの面積があるとか、やはりアフリカは大陸なんだ~すごいな~今夜は此処で泊まるようだ・メインロビーからコテージに案内された・都会のホテルは土地に余裕がないのでビルになるが・広々としたこっちの方が贅沢なのかもしれないな~と感じた

部屋に入り浴槽を除くと5cm位の黒っぽいモノがあったので取り除こうと触ったら、なんと~それは生きた蛭(ひる)だった・ウワッ~ ビックリした~😱

朝になり・目覚めてすぐに感じた~な~んも聞こえないシ~ンとしてる静かだ~どこからか小鳥の鳴き声だけが綺麗に聞こえる・一切の雑音がない<空気が新鮮なんだ~>新聞もない・テレビもない・こんな自然環境は初めてだ~

サファリ見学だぞ~

車は広~いサファリへ走り出した<アカシアの木が多い>ゾウやキリンが食べるんだとか、途中で安全な場所に降り・全体を眺めれば・広大なのに端から端までが近くに見える、雲は手が届きそうな感じさえする・透き通ってるんだ~

動物の居そうな場所へと車は移動してくれる~ダン君のトランシーバーに<仲間から連絡が入った>車は急きょ方向転換した~10分ほど走ると・いた~やや平坦な草原にハイエナインパラを捕らえみんなで喰ってる・上空にはハゲタカ旋廻しながら、順番待ちをしてる~まるで映画のシーンのようだ~

映画では見れない光景があった~20数頭のインパラが食べられる仲間の姿をジーと見つめている<目を離さない>その距離は10数m程しかない<これは不思議に思えた>喰っている時は来ないと知ってるようだ~!

マサイ村へ

マサイ族視力は低い人で3.0度・高い人は10度もあるとか、牛糞と赤土を混ぜたの家に入ってみた~壁は乾いているので臭いは無く生活用品がまばらにおいてある、今はマサイ族の第二婦人になった日本女性もいる<人の縁は解らない>

ゆっくりと上昇する~下の眺めが徐々に小さく~小さくなっていった、あまり動いてる感じはしないが・バーナーを止めて空中停止した・シ~ンとして静かだ~思わず・ワンダフル~なんと素晴らしい~孫悟空になったような気分だ思わず口走った~このへんが大阪人だな~

360度に広がるパノラマビューと広大なサバンナ・眼下にはキリンやシマウマの群れがチラホラと見えている、遊覧飛行を体験しながら小さな草原に着地した<そこには朝食が用意されている>大自然の中でシャンパン朝食とはだな~

その後にフラミンゴが100万羽もいるナクル湖国立公園&アフリカの動物の肉は何でも食べれるアフリカンバーベキュー・そんなもの食べたいとは思わないが~とりあえず何かしらの肉を食べたが固くて味なんてものはなかった。

アンボセリ国立公園

ここではキリマンジャロ(山脈でない独立峰で世界一の標高5,895m)を正面から見れた~車は高さ30メートル程のの入口に到着~・他の観光客と列をなして上がってると両端小さな石がずっと置いてある~たどり着いて全容を見渡せば~

なんと~!大自然一色だ~景色・空気に何とも言えない満足感が全身を走った~四方八方を眺めながらに思い浮かんだのは・この地に”墓”を置いたなら~この上ない冥利に尽きるだろうな~だった!

景色を満喫し下りる時に気付いた<小石は隙間なく並び・何か書いてある>よく見ると・なんと~”墓石”だった!それも世界中の人達がいる・日本人は?あった<キリマンジャロを眺め・我ここに眠る>人が考える事は同じなんだ~

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