91)子供の将来を考えてみた
出産を終え・三人で大阪に戻った<一人増えたぞ~>新生活の始まりだ~子供の顔を見る度に安心感と幸福感が湧いてくる、親は子供のためなら何でもできるんだろうな~やっと親の気持ちが解ってきたような・そんな日常を味わえた・

優星は日々育ってゆく・最初に買ってあげた玩具はハーモニカだった、これほど小さくて多機能な楽器はない<赤ん坊でもできる・どこででも鳴らせる>音楽に興味を持ってくれれば・

それには少しばかり希望があった、将来を展望した時<本職を持ち・趣味でシンガソングライター>になれればと・道を切り開いておきたかった。
出生時から息子名義で預金通帳を作っといた、一年目は毎月一万円・2年目2万円・3年からは毎月3万円にした・これを積み立て・20才になったら自己資金にしてくれれば・

これも考えていた、中二になったら100万円の資金で株を始めてもらう、それは資本主義構成を実践で学ぶことと<現金と投資金は別物>将来に何かで利益を得たとしても<成金趣味>になって欲しくないとの思いがあった。
子供は覚えが早い・言葉でとやかく教えるよりも中身を知れば知恵もつく、20才を過ぎれば億単位になる可能性もあるが・これは現金とは違う。

肝心なコトも
人の道にはやって良い事と悪いことがある<事前に頭に入れておくことが肝心だ>何かが起きてからは遅いのだ~いざという時に迷うことなく<YES・NO>の分別が出来るよう・せめて教訓の十ヶ条は必要だと考えていた。
博多に連れて行った
優星が少し成長したので新幹線でおふくろに会わせに行った、生まれて間もなくに大阪に出向いてくれた時もすごく喜んでくれて<初めて親孝行ができたような気がした>占い師に診てもらったとかで、生まれた子はすごくいい子だと言われて上機嫌だった。
実家は博多ベイサイドに100mで行ける、遊園地が出来ていたり丸型の水族館があったりで楽しめる、余程気に入ったのか夕暮れになっても帰ろうとしないので、帰るふりをして片隅に隠れて見たが、その場から動こうとしなかった、息子は結構・自分の考えを通すんだ~




翌日は福岡ドームに野球を見に行った、まだ意味が分からないので雰囲気だけ味わい一時間ほどで帰ったが、博多は気に入ったようだ。
その後も、志摩スペイン村・伊勢神宮・六甲山牧場・金剛山にはよく行った・淡路島ホテルは部屋から花火大会が観れて格別だった・金沢・能登半島には以前から行ってみたいと思っていた、流石に百万石だ~漆の木はアジアにしか生息せず、日本は最北で質が良いとか・




江戸時代にヨーロッパへ漆器を輸出したとき、欧州の王侯貴族達は漆の奥深い「漆黒」を神秘的だと宝石と同等の価格で取引されたという、それほどに魅了される品質だと感じた。
92)また引っ越しだ~
3年が過ぎた頃に時々優星が咳をするようになっていた、おいらも住みだして二年程して喉の調子が変だった、西側の窓縁を調べると<ススが溜まっていた>遠くを見渡すと7㎞ほど先の大きな煙突から白っぽい煙が風に乗って・こちらの方向に来ている。


調べると住之江区のごみ処理施設からの<煙だった>10階部屋で途中に障害物がないので・ここまで来るのか~こりゃあ大変だ~
すぐに引っ越しだ~阿倍野区の不動産屋を廻り、たどり着いたのが近鉄線今川駅前のワンフロア・マンション90平米だった・7階建て各一室なので風は4ヶ所から入る・2階なので階段も使えてこりゃ便利だ~家賃28万だった・
この時・不動産屋に火災保険は?と尋ねた~すいません置いてないんですと言われた、通常は不動産屋の方から火災保険の申込みを勧められるはずなんだが?




引っ越し後に近くを散策するとのんびりとした感じの町だ~たまに電車通いをすると地下鉄と違い高架線は風景を楽しめた、住みだして2ヶ月が過ぎた朝だった<あれ~どうしたんだろ>この部屋が火事になるかも知れないと予感がした。
消火器を買いに行こう


ホームセンターに行き2種類を選び購入した、一つは火元に投げれば消火できるとかで、彼女に消火器の使い方を教え<火元は解らんけど・この部屋は火事になるかも知れない>と伝えた。
初の飛行機


優星3歳の夏がきた・まだ行ってないところ、宮古島に行こう、ホテルの裏側は砂浜のビーチだった、透き通った海水で気分が良い・人もまばらで太陽は眩しく輝いている、やはり南の島だ~
子供は成長してゆく・楽しみだ~あっちこっちへと連れて行きたい、車は外が見渡せる車高が高いのに買い換えよう・日産ラルゴ4WD(現エルグランド)これなら安全性も高く窓から景色が良く見える、12月7日に納車された。
当然の出来事!


12月27日:午後2時頃に携帯が鳴った、出ると知らないおばちゃんが慌てた声で ”あなたの家が火事になってますよ” だった~
大急ぎで電車に乗った<これほどに焦ったことはない>着くとすでに鎮火状態になっている・消防車の到着は早かったようだが、消防隊員に“全焼”ですといわれた、部屋に入ると真っ黒になっていたが<近所への延焼はなかった>




何も知らぬ優星は室内を見ながら・いいな~と言っている<これはね火事といってみんな燃えて無くなったんだよと伝えた>原因は天ぷら鍋だった、妻と焼けた室内を見てると貯金箱が割れて黒くなった硬貨が足元に落ちてる・妻は拾おうとしなかった。
400枚のレコード盤とDenon プリメインアンプ・MARANTZ CDプレーヤー・YAMAHA -1000M &Harbeth& Sonus faber/Minima AmatorのスピーカーにTechnics ターンテーブルでもう音楽は聞けない・火事の現実を知る。




翌日に迷惑をかけたご近所や上階の人に二人で粗品を持参し<謝罪に廻った>人って様々なんだと教えられる>この時は妻に謝罪の大切さを身をもって教えたかった。
難しいことは考えてもしょうがない<気を取り直して進もう>取りあえずは玉出の部屋に戻ろう。
93)突然二人は居なくなった
3日後に新しい部屋は阿倍野セレサに決まった、この時に大型テレビを2台買った、一台は優星と映画を見れるようにとの思いがあった<玉出は賃貸にした>
引っ越し後2週間ほどだった<仕事を終えて帰ると二人の姿が見えない>部屋の様子も何か変だ~優星の衣類やオモチャがない(ハーモニカだけが残っていた)テーブルの上に離婚届が置いてあり・すでに名前は書かれている。


<これは母親が来阪し・連れ帰ったのだと推測できた>
何がどうなっているのか混乱した<意味が解らない>この状況は電話では無理だ~二日後に高松行きの列車に乗った・どちらにせよ親権の問題や子供との面会のことなどを話し合わなければ。
約束の時間に合わせ丸亀駅からタクシーで到着・家に入り妻の姿を見ると黙ったままで言葉はない、母親も正面で話し合おうとはせずに一言<火事になったのは夫婦仲が悪かったからでしょ>だったが・この言葉には正直・驚いた~
お父さんは話しかけても黙って去って行く、どうやら母親が全権を握っているようだ
子供のことよりも自分達の勝手な判断としか思えない、何ら説明も出来ないようだ~心の準備が出来ていないのかな~この日はこれで帰った。


一週間後の約束日に行った、玄関の戸を開こうとすると鍵がかかっている、え~どうして・その時に警察官がやってきて声をかけられた<今日は帰ってください>
理解できないので・子供に会いに来たと警察官に説明すると<家に入れないでくれ>と依頼があったという。


<信じられない行為に感じた>どうにもならない<又、帰るしかないようだ>この時に彼女に伝えた<お金の貧乏は構わないが・心貧乏にだけはしないでくれ>
離婚の理由は難しい<それぞれに思惑がある>彼女と優星の預金とで300万は有るだろうが、そんなものは使えばすぐに無くなる。
秋葉ちゃんが心配してくれ、他人の私なら落ち着いて話しができるかもと、足を運んでくれたが、説明をすれども逃げ腰で意味が通じないと言う。
知り合いの弁護士を紹介してくれた、一週間後に弁護士に経過を聞けば、要件を進めようと電話をすれば何度も切られたりで・常識外の人のようだと・


仕方なく丸亀市に行き・離婚調停を申し込んだ・が・調停日に彼女は欠席した!なんとも難しい


<息子は一冊の本も無い家で育てらるのか~残念だ~>
夢も希望も消えた~😧
後に解った!半年も経たずに地元の人と結婚していた<子供は実の父親で誤魔化せる>母親も説明ができずに避けていたのは・この様な計算があったようだ😞
94)生き地獄のような思い~
子供を亡くした親の哀しみも理解できるが<子供がいて会えないのは生き地獄のようだ>人生で一番つらい思いを経験することになった!何をどうすれば良いのか見つからない・自分の居場所が定まらない・ただ茫然と空を見上げる・




日々そんな思いが続いた、優星を楽しませようと買った新車は売ることにした、まだ1,000Km程しか走っていない<この車を売る時の侘しい思いは言葉にならない>一人トボトボと帰り道を歩く・自分の姿は影もない~
とりあえず決めたことがある<子供が5年生になった時に会いに行こう>おいらが一番つらかった頃だ<その時に幸せな環境でなければ引き取ろう>会って顔を見れば判断できる,それまで辛抱しよう・
自分を責めてもしょうがない、何とか気持を切り換えなきゃ~同じ空の下では気持ちが沈んで抜け切れない・空を変えよう~外国旅行にでも~



ヨーロッパに行ってみよう
旅行会社のパンフレットをまとめて置いてある所は~と、高島屋の地下で見たことがある~行ってみよう~あるある~その中にロンドン➜パリ➜ローマの三国巡りが目に止まった~これは良さそうだ~主要都市を廻れる~




やはりヨーロッパは一人旅よりもガイド付の団体旅行の方が何かと安心できる・楽だし・言葉の心配がない・これに決めよう。
翌日に申し込んだ~ 出発まで旅行用品の準備だ~いつもはジーンズだけどスケジュールを見ればスーツが必要のようだ~一着だけ用意した。


当日は関空➜羽田➜ロンドンへ旅立った~機内の小さな窓から眼下の雲を眺め・ヨーロッパを想像すると映画のシーンが思い浮かぶ
フランス映画はノートルダムのせむし男・イタリアは『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンが真実の口に手を入れるシーンやアランドロン『太陽がいっぱい』ソファーローレンの『ひまわり』イギリスはショーンコネリーの007やビートルズの顔が浮かぶ・やはりたくさんの映画を観てきてよかった~




着陸した~ロンドンヒースロー空港は世界一利用客数が多いとか・広い空港を出て阪急旅行社のガイドさんについて行くとバスが待ち受けている・やはりツアー旅行は何も考えなくても良い・楽だ~
バスで市街地をひと回りしてホテルに到着➜翌日も観光巡り、やはりイギリスは格調高く貴族的な雰囲気を感じる、サッカー・陸上競技・水泳・ゴルフ・登山とかのスポーツの発祥地でもあり世界の歴史をリードしてきた国だ~




イギリスは日本と同じく島国で国土面積は24万3,600平方キロ、これは本州と四国を合わせたほどの面積になるが<平地7割で山地3割>日本の<山地7割で平地3割>とは真逆になる、広い平野に羊を放牧させ18世紀頃は人口よりも羊の数が多かったようだ・
95)日本の近代化を創った若者達
時は1863年:江戸幕府の鎖国時代に“密航”までして歴史を変えた若き<長州藩士5人衆>欧米に劣らぬ強健な日本国にと希望を抱き、死罪を覚悟でイギリスへ渡り先進的文明・技術を学び帰って来た、今日の発展はこの5人の存在があったからと言っても過言ではないようだ《素晴らしい・感銘を受ける》


左上(遠藤謹助27才)左下(井上肇28才)中央(井上勝20才)右上(伊藤博文22才)右下(山尾庸三26才)《日本の近代化はイギリスが基になる》
やがて遠藤は日本初の貨幣を製造・大阪造幣局の「桜の通り抜け」も作った、井上勝は鉄道を学び東京~横浜間の鉄道開通を果たした、井上馨は外務・農商務・内務・臨時総理・大蔵などの各大臣を歴任する、山尾庸三は航海・工学を学び東京大学工学部を設立する、伊藤は法律を学び・初代内閣総理大臣に就任した。




此処には隠された歴史の史実がある
伊藤博文が国家建立の為に法律を学んだのは必然的だった!
1811年に朝鮮国で10年計画の民衆の反乱が勃発「洪景来の乱」それまでの反乱とは規模が違った~この時に王族や貴族の多数が殺害された~伊藤博文の祖父(王系)は日本の山口県光市に隣接する田布施村に逃れて来た~
祖父はいつしか朝鮮国で再起を図ることを望んだ、やがて孫(博文)が生まれ育ち・何としても武士の道を歩ませようと策を講じて下位の足軽に従事させた、次に足軽頭の伊藤家に頼み込み<伊藤家の養子になった>伊藤の姓をもらい・日本人として武士の道が開けた~<全ては計画的に進められた>


吉田松陰の塾『松下村塾に入門』門下生として高杉晋作や卒業塾生92人の一人として学ぶことになった・
博文は祖父の意志を継ぐ<朝鮮と日本の併合が目的にある>この任務を生まれた時から背負っていた。
<博文は率先してイギリスに渡り・法学を学び帰国した>
1909年に伊藤博文は安重根の暗殺で死亡・安重根はロシア官憲に即逮捕されたが、暗殺に使われた銃は旧ソ連製のトカレフだった<暗殺者は安重根ではなくロシア軍にハメられたのだ>安重根は文人で天皇崇拝者だと云われていた。




この史実を知った時は驚いた~<事実は小説よりも奇なりだった・歴史はいつの時代もどの国も<見えない場所>・<限られた人達>・<策謀の渦中>で作られている、これが教科書となり洗脳されている~
山口県から総理大臣は継続されている・伊藤博文➜山県有朋➜桂 太郎➜寺内 正毅➜田中 義一➜岸信介➜佐藤栄作➜安倍晋三氏~【田布施町に安倍家先祖の墓は現存する】小泉純一郎は鹿児島の田布施出身で同族になる。




<長州藩士5人衆>が居なければ日本は欧州連合の植民地になっていたようだ。
《もうひとつ衝撃的な歴史の真実がある》
このフルベッキ写真が証拠になる!


大室寅之祐が明治天皇になる・これは衝撃的だ~内容は『日本建国の中』に



ロンドンのパブ
市内にはパブが3000軒程あり歴史も古く:ザ・プロスペクト オブ ウィトビーは創業1520年:ザ スパニヤーズ インは1585年とか<日本では室町時代で土一揆が起こり>豊臣秀吉が1537年に誕生している。




そんなパブ内はお客さんの賑やかな話し声で音楽は聞こえないほどとか、見聞に行ってみたかったがツアー旅行なので単独行動は控えることにした<残念>



ウイスキーの発祥地
1918年:竹鶴政孝はウイスキーの聖地・スコットランドへ製造技術を習得に行き・サントリーの鳥井信治郎と切磋琢磨に励んだ結果・今では日本のウイスキーが<世界で一番うまい>と云われるようになった・双方とも《ワールド・ウイスキー・アワードを受賞》している。




ウイスキーは醸造と蒸溜・貯蔵には数年~20年以上もかかる、巨費を投じてもこの期間に利益はない、昭和の時代は日本のウイスキーはスコッチウイスキーの安いモノを輸入・混ぜ物のブレンドウイスキーだった・今は全て自社ブランドだ~
96)イギリスからフランスへ
ロンドン~パリへはユーロスターがある<これは楽しみだ~>




ドーバー海峡の海底トンネルを抜けて3時間以内でパリの中心部に到着するようだ、座席もゆったりとしている・のんびり気分で景色を眺めると~高い山はなく~ゆるやかな丘陵が何十㎞と続いてゆく~田園カラーも色とりどりに変わるのは作物が違うのだろう~それにしても広大な農場だ~




フランスは世界で一番豊かな国では?と思えた~
フランスの食料自給率は110%を超える、日本はいつもながら38%前後<日本は豊かな山々に恵まれている>開拓すれば自給率は100%を超えれる・広い住宅地も確保できるのだが< 国策で自給率を上げようとしない>




食物が豊富にあれば・人の心は穏やかになる・しかしいつも満腹なら<あくせく働かなくてもよい>つまりは怠け者になる・アッハッハ・




それにしても国土の68%が森林でありながら、輸入木材が70%以上とは農林水産省は発展能力に欠けている~食料自給率が上げれば少子化も解消できる~






車内ではあれこれと・思いを巡らせながらも、この景色は二度とは見れないだろうと・ず~と眺めていた~
✨パリ駅に到着した~構内はロンドンよりも賑やかな雰囲気だ~






駅構内を観察しながら外に出るとバスが待ち受けている、ツアー旅行は楽だ~バスは凱旋門・エッフェル塔を廻ってホテルに到着、今夜はナイトショーの見学があるので正装して下さいと言われ・スーツに着替える。




ムーラン・ルージュは映画「ヨーロッパの夜」を観て知っていた、ショーガールは身長175cmに揃えているとか、煌びやかに踊るのだが演劇のようにストーリー性がないので余り興味は沸かなかった。




翌日は世界最多の入場者を誇るルービル美術館だ~全部廻ればハーフマラソン距離21Kmもあるという、なので人気の展示だけを見ることに、やはり目玉はツタンカーメンだった~古代のモノは現代美術よりも見ごたえがある・







フランス人の食生活は
昼食がメインだとか<ワインを飲んで2時間ほど休憩>商店はシャッターを下ろす、なんとも優雅な~今は多少変わってきているようだ~


ワインは子供の頃から飲んでいたが、消費量は減っている<がんの発症率>が高いとマクロン大統領は公表した>現在は農薬不使用の栽培方法に変えているとか~
ワイン愛好家で有名だった川島なお美さんは胆管がんで死去した(54歳)ワインの飲み過ぎといわれている、フランス国内の飲酒量は減ったが東南アジアや中国は遅まきの・憧れ思考で輸出は増加している~
97)フランスからイタリアへ



イタリアへは空路だった
<ローマは一日にして成らず>700年の歴史で築いたローマ帝国はさすがに観るべきところも多彩で退屈しない。






街全体が世界遺産に登録されている『フィレンツェ』カトリックの総本山『バチカン市国』と『システィーナ礼拝堂』






水の都と呼ばれる『ベネチア』&『大聖堂ドゥオーモ』&『パンテオン神殿』と歴史を感じる。






スペイン広場から歩いて10分ほどにトレビの泉があり、年間に約1億6000万円ほどのコインが投げられるとか・当然の如く手持ちのコインを投げ入れた 😊




コロッセオはローマ帝国が西暦80年頃に格闘技や公開処刑場として造った 娯楽場(約5万人収容)で<奴隷同士の殺し合い・人と猛獣の戦い、他>これは映画『ベンハー』を観て知っていた・後には『グラディエーター』がある。
日本にも江戸時代は罪人を十字架に<はりつけ>&<火あぶり>の公開処刑が行なわれていた、これは日本を建国したイスラエル支族が残した刑罰なのだろう。



ローマからナポリへ


高速バスで2時間程だった~レストランでワインを飲みます・¥500を用意してくださいと云う・全員の席に一人1本のワインがドンと置かれた~昼間からそんなに飲めるわけがない~安さには驚いた!
何もない平野を走っていると古びた団地らしき建物が幾つか見えてきた、バスガイドは貧困層を隔離した団地だと説明してくれたが<これは疑問に感じた>貧困層だけを集団生活させれば子供達はその環境から抜け出せないのでは?



スリ集団に襲われた~
翌日はフリータイムで一人で出かけた、通りを歩いていると小さな宝石店が目につき・目新しいデザインでもあるのかな~と5分ほど眺め見た後・5~6メートルほど歩くと・左肩の後ろを外側に撫でるように~誰かが触った・




一瞬 頭を左に向けた時・腹のへそ位置で違和感を感じた~右手で素早く払いのけた~下を向くと一番安全な場所だと思い 腹部に付けた・ウエストポーチのチャックが半分開いている・僅か2秒半程だ~3秒なら抜き取られていた~!
左右を見ると6~7人がス~と離れて行くような~(囲まれていたようだ)抜き取り役は訓練された子供なんだろう・盗ったなら即座に次の者に渡してゆく~数人が役割分担している、これは高速道路から見えた団地の人達なんだろうな~まさに瞬間だった・


その後:映画「ローマの休日」で知った『真実の口』を見に行き・口の中に手を入れたが 😨 噛まれることはなかった・Ahaha



ポンペイ遺跡
海抜40mに造られた古代文化都市ポンペイは人口約20,000人:街には商店・酒場・レストラン・男女別の浴場・クリーニング・パン屋から高級住宅・下水&配水管までも整えられていたという。




一昼夜にして火山灰に包まれてことで建物・芸術品・壁画も2000年前の姿で残されることになった<発掘される1700年もの間・地中に埋もれていた>




ポンペイの人達は優雅な生活を送っていたようだ、食文化では口でゆっくりと噛み<栄養素>だけを吸収する・残りは別容器に吐き出すという、これなら消化機能を傷めない・健康・長寿の秘訣かも <ここは印象に残った>
<学ぶべきことも色々あったが・旅は終わった>😊
98)ケニヤに行ってみた
2週間ほどが過ぎた~日常に戻るとやはり子供のことが~頭を離れない~この際又何処かに行ってみようか~もっと遠くへ~そうだ~一度は行ってみたいと思ってた~アフリカ~ケニアに行ってみよう~




旅行会社を調べるとアフリカ行きは専門の旅行会社になるみたい、やはり旅客が少ないんだ~早速に申し込んだ・現地ではツアーガイドにおまかせ~これなら・安全に旅ができる~


旅支度だ~ヨーロッパと違って服装は普段着でイケる~ジーンズ3本と上着はセーターとか余分に(それには考えがあった)今回はビデオカメラだ~ソニーDCR-VX1000・これでヨシ~


飛行機は関空➜仁川➜インド➜ナイロビへと乗り継いだ
ナイロビの空港に着いてタラップを降りる・ターミナルビルまで距離がある・空を見上げると雲が近くに見えて空気が透き通っているような~息を吸うとかすかに土の臭いを感じるがさして異和感はない・




強烈な陽差しで暑いのかと思いきゃ~カラッとして凌ぎやすい・アフリカ大陸は標高200~1000mの高地になるらしい・
不思議な思いがした~なぜか故郷に戻って来たような気がする~ず~と後に知った!アフリカは人類発祥の地だった~んだ~
到着ゲートの通路に名前を書いたボードを持ってる人がいた~挨拶を交わし、ついて行くと小型マイクロバスが待機してた、すぐに60代の母親と30~40代の娘3人が乗車して来た、どうやらこのメンバーで出発のようだ~
現地ツアーガイドのダン君は32歳と若かった・気が合いそうだ~日本語を話せるとは勉強したんだろな~今からマサイマラ国立保護区へ行くとか・距離は258km・舗装道路は少なくガタガタ道を10時間はかかるかも~
道中は山間部で緑が多い・景色に見とれて時間を忘れる~アフリカは食料不足で飢餓が多いというが、これだけ緑に囲まれた土地あるなら農地開拓をやれば解消できるだろうに~なぜやらないんだろう~怠け者が多いのか指導者がいないのか~と・考えてしまった。



マサイマラに着いたぞ~




マサイマラ国立保護区は大阪府と同じくらいの面積があるとか、やはりアフリカは広いんだ~すごいな~今夜は此処で泊まるようだ・メインロビーからコテージに案内された・都会のホテルは土地に余裕がないのでビルになるが・広々としたこっちの方が贅沢なのかもしれないな~
部屋に入り浴槽を除くと5cm位の黒っぽいモノがあったので取り除こうと触ったら、なんと~それは生きた蛭(ひる)だった・ウワッ~ ビックリした~😱
朝になり・目覚めてすぐに感じた~な~んも聞こえない~シ~ンとしてる静かだ~どこからか小鳥のさえずりだけが綺麗に聞こえる・一切の雑音がない<空気が新鮮なんだ~>新聞もない・テレビもない・こんな自然環境は初めてだ~



サファリ見学だぞ~
車は広大なサファリへ走り出した<アカシアの木が多い>ゾウやキリンが食べるんだとか、途中の安全な場所で降り・全体を眺めれば・広大無辺なのに端から端までが近くに見える、雲には手が届きそう~透き通ってるんだ~




動物の居そうな場所へと車は移動してくれる~ダン君のトランシーバーに<仲間から連絡が入った>車は方向転換した~10分ほど走ると・いた~やや平坦な草原にハイエナがインパラを捕らえみんなで喰ってる・上空にはハゲタカが旋廻しながら、順番待ちをしてる~まるで映画のシーンのようだ~






映画では見れない光景があった~20数頭のインパラがハイエナに喰われている一頭をジーと見つめて・目を離さない・その距離は10m程しかない<これは不思議に思えた>喰っている時は襲われないと知ってるようだ~!



マサイ村へ




マサイ族の視力は低い人で3.0度・高い人は10度もあるとか、牛糞と赤土の壁で作った家に入った~壁は乾いているので臭いは無く生活用品がまばらにおいてある、今ではマサイ族の第二婦人になった日本女性もいる<人の縁は解らない>
翌朝はバルーン体験だった・高原の広場でガスを注入している、気球がゆっくりと膨らんでゆく~形状を観察すると~満タンに膨らんだ姿は思ったよりもデカイ~<搭乗者は欧米人と日本人が半々で14人だった>




ゆっくり~ゆっくりと上昇する~下の眺めが徐々に小さく~小さくなっていった、あまり動いてる感じはしない・バーナーを止めて空中停止した・シ~ンとして静かだ~思わず・ワンダフル~なんと素晴らしい~孫悟空になったような気分だ~思わず口走った~このへんが大阪人だな~




360度に広がるパノラマビューと広大なサバンナ・眼下にはキリンやシマウマの群れがチラホラと見えている、遊覧飛行を終えると小さな草原に着地した<そこには朝食が用意されている>大自然の中でシャンパン朝食とは粋だな~



アンボセリ国立公園
ここではキリマンジャロ(山脈でない独立峰で世界一の標高5,895m)を正面から見れる~車は高さ30メートル程の丘に到着した~他の観光客に続いて登っていると両端に小さな石がずっと置いてあった~頂上に着いて全容を見渡せば~




ウワッ~!大自然一色だ~景色・空気に何とも言えない満足感が全身を走った~パノラマを見渡しながら思い浮かんだ~この場所に”墓”を置いたなら~この上ない冥利に尽きるだろうな~だった!
景色を満喫し下りる時に気付いた<小石は隙間なく並び・何か書いてある>よく見るとなんと~”墓石”だ~!それも世界中の人達の名が~日本人は?あった~<キリマンジャロを眺め・我ここに眠る>とある・人の想いは一緒なんだ~
🦒 翌日はジラフマナーホテルに宿泊
外観はホテルというよりも英国風の館だった、キリン好きのイギリス人が広々とした庭で育てていたが・いつしか宿泊施設になったとか、館内も住居の雰囲気でゲストルームは6部屋しかない。




夕食時のルームはろうそくの灯だけで暗闇だった~椅子も手探りで座った、やがて料理は並んだが~肉とサラダとスープと解るくらいで・なんの肉だか・味も不明瞭だ~イギリス料理に期待できないを実感した~闇夜の食事だ~
食後にオーナーさんが・朝にはキリンが部屋に来るので・と餌を手渡された、朝になり気付いた~窓際にキリンが二頭嬉しそうな顔して待っている、窓を開けると顔を近づけて長~い舌を出したので餌を乗せると美味しそうに食べた~キリンの舌ってどんなんだろうと触ってみたら大雑把でザラザラだった・アハハ~
《キリンはおとなしいが足で蹴とばされると・吹っ飛んでしまうとか》




《ジラフマナーはケニア一番の人気ホテルになり:一年待ちになっている》




その後にフラミンゴが100万羽もいるナクル湖国立公園&アフリカの動物の肉は何でも食べれるアフリカンバーベキュー・そんなもの食べたいとは思わないが~とりあえず何かしらの肉を食べたが固くて味なんてものはなかった。
ひと通りケニアの人気スポットは観光できたみたい、車の移動には時間がかかったが景色を眺めながらで退屈はしなかった、おみやげは子供達が描いた動物の絵やろうそく染め・木彫り動物とかを買った。




観光で世話になったダン君に<着てたもので申し訳ないが貰ってくれないかと>リーバイス・ ジーンズ2枚+イタリアンセーター2枚を渡した<後で知った>外国製品は関税が高く高級品になる、それでジーンズを履いてる人がいなかった。


帰りの機内で思った!アフリカは発展せずに現状の姿であって欲しい・今ではナイロビも高層ビルが立ち並ぶ・
99)同じ空の下で~
帰って来て考えた末に答えを出した<優星と同じ空の下で暮らそう>それなら日々思い悩むこともないだろうし、人口40万超えで飛行場もある高松市なら、何かやれることも見つかるだろう~




高松市に住居を探しに行こう~阪神高速道路➜明石海峡大橋➜淡路島を縦断➜鳴門JCT➜高松市へ




一週間後に荷物搬入を済ませ・市内を車で走ると15分もあれば大体の範囲内には行ける・便利だ~これからは大阪へ行ったり来たりになる~




それでは四国をひと回りしようと愛媛➜高知➜徳島に泊まり掛けで行ってみた、道後温泉~四万十川~室戸岬~鳴門~道中の山並みは個性的で綺麗だ~エスカヒル鳴門の展望台は360度の眺望で解放感に溢れ・最高の景色だ~




住居から車で12分ほどで五色台に行けた(いつ行っても誰もいない)風光明媚で瀬戸内海を眺められる~波は静かでまるで湖のようだ~これならクルーザーに乗って魚釣りをすれば最高かな~




それならと高松マリーナに中古クルーザーを見に行こう・ひと昔と違い税率が下がり24フィートでも手が出せる価格になっていた、じゃ~クルーザーを買おうか~翌日に屋島マリーナに行き・小型船舶免許の申請を済ませ~学科講習+実技講習を終え~船舶免許を取得した・




ボート免許の先生は若く、東京で学び高松へ帰省した人だった、彼曰く明石海峡大橋は出来たばかりで四国はまだまだ田舎人なんです・この言葉は頭に残った・




免許取得した後に気候が一変・夏日になった・カンカン日照りが続く~強烈な日差しで道路は誰も歩いていない、これでクルーザーに乗れば日干しになってしまう~釣りどころではない・無理だ~クルーザーは止めよう・諦めが早い~
はてさてと~それでは高松で何をしようか~週刊誌を読んでると・ロスアンゼルスで子供向けの動物レストランが流行っていると記事があった、どんなんだろう?見に行こうか~




場所はハリウッドにあるようだし~行ってみよう、4日後にロス空港に到着~バスに乗りハリウッド近辺のホテルへ明日に動物レストランへ行こう・
午後3時過ぎにレストランへ行っった、暇な時間帯でお客さんも少なく広い店内は動物らしき模擬も見当たらない・ジャングルのような雰囲気もない~なんかガッカリ・メニューに動物の図柄は描いてあったが~
現在のレインフォレスト カフェ




週刊誌もネタ不足で記事は穴埋めだったのかな~参考になる店舗はなかった
ディスコの店内を洞窟に改装した時の方が目新しかった、動物レストランなら森やジャングルの装飾に仮想動物でも置いてると想ったが~




ならばKENYAで撮った映像をスクリーンで流したり、おみやげで買った動物のろうけつ染め・絵画・木彫りを飾った方がましだと想いながら帰路に~
とりあえずはやってみようと物件を探していると・新聞広告に条件に合った貸店舗が高松駅内にあったので・申し込みに行くと県外の人には貸せない~だった・他には見つからなかった・諦めた~
何をしようか~ホストクラブでこの地の若い人の考えを知るのもいいかな~と言う訳で・ 2)ホスト・ナンバーワンは誰がなるんだろう・に戻る。
<ホストクラブの閉店まで~大阪⇔高松間は100回を超えた>




一億円は一年で無くなる
<ブログ制作にて休憩中>