31)呼び戻された理由に愕然とする!
博多に行くにしてもアパートの家賃が問題だな~部屋を持っていない哲チャンに頼んでみよう。
良かった!戻って来るまで家賃持ちで住んでくれる~<肩の荷が下りた>熱帯魚を飼っていたので餌やりと水の補給を頼んでおいた<これでひと安心だ>


特急列車は高いので乗った事がない・急行列車(大阪―博多間・10時間)でのんびりと山々の景色を眺めながら<どんな理由で呼び戻されたのだろうか>と~エゾ松に包まれた駅弁の香りを楽しながら<旅の余韻に浸る>
ボストンバッグ一つを手に~玄関でただいま~と声をかけ足を踏み入れた・さっそく親父に会い・用事は何ですか・と聞くと
中洲でクラブをやっている人にお金を貸してある<今は自分の店になっているが>返済が終えるまで店長で働いている<売り上げをごまかさないか見てくれ~>
これを聞いてガッカリした:えっ~それなら伝票に番号を書き入れればいいんじゃないですかと言ったが<内心はな~んとくだらない・理由なんだ~>おいらは親父に逆らったことがない・今更言葉を付け加えても・あ~やるせない・

この失望感は・その後の生き方を変える~
『気持ちを切り換えよう』どんなことにでも経験を・楽しもう~
翌日からクラブに出勤:マネージャーとは名ばかりでやることはレジ係とウエイターだった、とりあえずは会計伝票に小さく暗号の番数を書きを入れた<伝票紛失はすぐに解る>しかし店長が売り上げをごまかしたとしても親父に知らせることはないだろう~

店はホステスが10名とウエイターが一人、キッチンは年増のホステスがやっていた・親父の仕事の知り合いとかも来店して結構繫盛してる・日が経つにつれ店長は外出したり来ない日もあった、次の仕事の準備もあるだろうと同情をする、2週間が経過し給料は貰えないと解っているので<売り上げから週5000円を頂戴することにした>
そのお金で閉店後に中洲に飲みに行った、モンシェルトントン(素敵なおじさま)<中央に60席はある白色の丸カウンター>壇上には純白のピアノと周りには花がイケてある、カウンターの真ん前に水が流れ・ここにも生け花がある
予定時刻になると天使のような純白衣装の女性がピアノを弾く<店内も上品でいいデザインだ>驚いた~素晴らしい~雰囲気だけで魅了された~その後もこれ以上の店は見たことがない~


温泉地で喫茶店
長男の嫁の弟が<脇田温泉には若い女性がいない・住居付きの喫茶店を誰かにやってもらいたいと>そんな話を持ちかけて来たので、じゃ~やろうと~クラブに面接で来た女性と求人募集の計3人と宗右衛門町の店で知った喫茶学校出身の吉田君(よっちゃん)を呼び働いて貰った。
やがて5ヶ月程が過ぎ~
ここに長居をしてもしょうがないので・初めて親父に頼んだ~(そろそろ大阪に戻ります)親父は首を縦に振った。
クラブでは酒に酔うと用もなく話しかけてくるホステス(幸ちゃん)がいた<冗談で言ってみた>大阪に戻ることにした一緒に行くかいと言ったら<私も連れて行って>と返事がかえって来た~
予想外の答えだ~<彼女も現状から脱却したかったのだろうか>これが若さなのか・一週間後には二人して大阪行きの列車に乗っていた<彼女は21歳だった>
大阪に戻り・気になっていた熱帯魚の水槽を見ると、なんとエンジェルフィッシュが斜めに傾いて泳いでいた、8㎝ほどしか水が残ってなく背中のヒレが浮いている・ズボラな哲チャンだがここまでとは~驚いたが笑うしかない・ネオンテトラやグッピーは減っていた。
<部屋は哲チャンに渡し・新しいアパートを探した>


幸ちゃんはスマートで容姿も良いので高級クラブに勤めることにした<中洲の女性は接客上手だ>おまけに博多弁なまりが新鮮に感じるのだろうか、大阪には九州出身の経営者も多くすぐに売れっ子になっった、景気も上昇傾向にあり接待費も落ちるので新規客や運もあってか二月が過ぎると口座持ちのホステスになった
あっと言う間に高給取りに・そして幸ちゃんは言った<あんたは仕事ばせんでもよかよ・私が稼ぐけんネ>博多の女性はこういう気質がある~
子供の頃に何度か耳にした~道楽者の亭主を持つ奥さんが<うちの亭主には好きなようにさせてやるけん、それで良かとよ>と、この言葉の裏には面倒見という優越感があるようにも思えた~
それからは月30万円を小遣いとして渡されることになった<甘えることにしよう>まずは車の免許を取ってあっちこっちへとドライブに連れて行ってあげよう・そうしよう~
32)自由奔放な人生の始まり~

お金と時間に不自由しなくなった・運転免許を取りに行こう
取得方法を調べると
教習所はお金と日数がかかる:だが一発試験(飛び込み)ならひと月で免許が貰えると知り、信ちゃんと健ちゃんを誘い三人で門真運転試験場へ、視力等の適性検査を受け学科試験も無事に合格(健ちゃんは不合格で再挑戦)
次回の実地試験を申し込み・帰る際に試験場前の練習場で30分、翌週の試験日も早めに行き練習場で30分練習をして実技試験を受けよう~
順番待ちの時に周りから会話が聞こえた<どうやら一回目での合格は無理らしい>中には10回以上も通ってる人もいるようだ・そうなのか~
さあ~順番だ~前の人が運転する際に後部座席に二人乗せてくれたのですごく参考になる・この日の一回目は予想通りに不合格だった・次回の申し込みを済ませ<その足で練習場で60分乗って帰った>
二回目も30分練習で挑んだが不合格<これも折り込み済みなので気にしない>帰りは60分練習をして帰る。
<三回目だ~今回が勝負だ~30分の練習を済ませ・いざ試験場へ>


前の人の運転を後部座席でじっくりと観察し頭に入れる~一人は下手だったが二人目は上手かった・でも落ちた・彼は首を傾げて納得がいかない表情だ~<理解はできた>彼は上手だが同乗者に安心感が持てない~運転が忙しすぎる~
ならば~同乗の人にショックを与えないように<アクセルとブレーキも滑らかにスムースな運転を心がけよう>結果・合格~やったね~3回は予定通りだ~
取得まで28日・交通費・練習費も全て¥9400で収まった、信ちゃんは6回で合格・健ちゃんは学科が苦手だったので教習所で免許を取得した・
最初は中古車のスカイラインを買って友達と幸ちゃんを乗せて天橋立に行った、三ヶ月後に新車の2ドアギャランを買い・近畿一円から富士山へとドライブとか自由気ままな生活がスタートした。

少年時代とは真逆な人生になった~
遊び仲間を作ろう
一人だけで遊んでもしょうがない:彼女のいない友達を喫茶店やスナックへ誘ってはこれはと思った女の子に声をかけてくっつけた<彼女達を高級クラブに紹介する>そうなるとクラブ内では互いのお客さんへのヘルプができたりで有利になる、3人の友達が上手く行った。
いつのまにかおいらは悪友になってしまったが、英ちゃんは一生の伴侶として続いた<人の縁は解らない>これで遊び仲間が出来た~時間があれば麻雀に明け暮れた~世の中にこんな面白いゲームがあったのか~麻雀の麻は麻薬の麻だ~
麻雀のプロがいた
雀荘にも通った~此処には色々な人達が集まっている・ある日よっちゃんと40代の八百屋さんの主人と対戦したが、この人には逆立ちしても勝てないと思った、この人の目は斜視だったので視点の予測がつかない<二度目もコテンパンにやられた>この人は麻雀牌が透けて見えるのではないかと不思議な感じだった
負けを承知で三度目は、おじさんの目の焦点や指先を観察をすることにした・やはり並べた牌とか他の人の牌とかも全部見透かされているように感じる、その後にこの人と対戦をする人はいないと聞いた・誰も勝てないのだ・よっちゃんにはあの人とはやらないようにと伝えたが~
魚釣り三昧~
潮岬へは健ちゃんとよく行った<深夜に車で出発~早朝に潮岬に着き>駅前で釣り餌を買って岬の待機所に行く、夜明け前に懐中電灯を持った船頭さんが崖の下の船着き場まで誘導してくれる。


船着き場には12人乗り位の渡し舟が数隻待ち受け・釣り客はお目当ての舟に乗り<夜明け時刻の合図>とともに各磯へ渡る~
磯に着くと朝陽がゆっくりと登ってくる・太平洋の地平線と夜明けの光景を眺めながら海面に釣り糸を落とす・大漁を期待するがいつも釣れない<二人しか上がれない小さな磯もあった>いつしか常連客になり潮岬の磯は全部上がった。
はまゆうの船頭さんは家においで<旨いウミガメ料理を食べさせてあげる>と言ったが・ウミガメの泳ぐ姿が頭に浮かび、健ちゃんともども食べようとの気持ちにならない・お断りした(凄く美味しいと云っていたが)
<この際にやりたいことはやろう>
天気は良くてやる事がない日は地下鉄で梅田に行き、御堂筋を難波までのんびりと歩きながら人間ウオッチングを楽しんだ・難波周辺や目についた店のほとんどは食べに入った<映画も良く観に行った>
TVでマッタケが話題になれば商店街で¥16000の大盛りマッタケを買い三日で食べ、キャビアの天然物を二日で食べつくす《飽きるまで食べればその後は欲しがらないだろうと》ひと通りを楽しんだ・カキは昔の方が美味しかった・山から降りる天然水が豊富に海に流れていたから~


ゴルフを始めた~
札幌からの友人やっちゃんは女性を紹介してから、余裕ができホストクラブに勤めだした、ホストクラブではゴルフが必須条件とかで仲間達と瀬田カントリーへはよく行った、当時のキャディさんはプロゴルファーと同じように一人が一人のバックを担ぎ・残りは何ヤードで何番のクラブと手渡しでくれた。
ゴルフブーム以前で年齢層も高く<後ろの組を気にすることなくのんびりとコースを回れた>クラブハウスでも20代を見かける事はなかった。
寿司屋のマスター芳美ちゃんとラウンドする時は、マスター特製の太巻きを用意してくれる、マグロ・エビ・ウナギとか具沢山でお店で出しているのとは別モノだった<芝生の上で食べると格別に美味かった>
ゴルフはやりだすと結構夢中になれた・コンペとかでも握り(賭け)が付きモノでこれがゴルフを衰退させない一因なのかとも推測した、これは40代後半まで遊べた<ゴルフは40代位から始めれば一生楽しく遊べる>若きに始めるとやめるのも早くなるようだ~
33)ワクワクと楽しい一日だった
日曜日だった:信ちゃんの居る上本町へ行った<最初にビリヤードを誘ったのはおいらだったが>信ちゃんは夢中になりビリヤード場で一年間働いた~腕前も賭けプロと対戦するほどに上手くなっている。
ハンデを貰っても信ちゃんには勝てない、この日もビリヤードをやりに行こうと言うので、じゃ~行こうか~上六ボーリング場内にビリヤードがあった・入口に『第一回ローテーション大会』と張り紙がある・じゃ~今日は遊べないな~
張り紙を読むと<参加費を出せば出場できる>とある<信ちゃん>応援するから出場しろよ・と会場に向かった、ひょっとすると信ちゃんの優勝場面を観れるかもしれない~

会場で並んでる時に<観てるだけよりも一緒に出よう>と言ってくれたので、そうか~その方がイイかもと参加費を支払ってエントリーした~
参加者は40人ほど<ブロックに分かれて敗者復活戦もあり>敗者復活があれば一度くらいは勝てるかもしれないと期待をする<ざわめきの中で話し声が聞こえた>誰々が優勝するんではと何人かの名前を耳にする、あ~ここの常連さんなんだろうな~取りあえずは迷惑をかけないように打とう。
<優勝を狙ってる人も要るだろうし:打つ時は時間をかけずに打とう>
対戦相手が決まりスタート合図が聞こえた:狙いに時間をかけずにただ勘だけで打っていったが・あれれ~な~んと一回戦を勝ってしまった、今日はツイテルこれでノルマを果たせた、後は気楽にできるな~ところが二回戦も勝った・
どうしたんだ~こんなはずじゃないのに~気がかりな信ちゃんはどうなったのかと探すと二回戦で負けて敗者復活戦になったとか・そうなのか~やっぱし~上手い人がいるんだ。
三回戦もヤマ勘を頼りに打っていった~この時は接戦だった~<あれえ~また勝った>何か狐に包まれた感じだ~あれよあれよと準決勝戦なった・ビリヤード台の周りは人が増えて押さないでくださいと声も聞こえる。

ここまでこれたんだ負けてもいいや~多分これで終わりかな~
いつもじっくりと狙って打っても入らない球を狙いもせずに勘だけで<ア~あの辺だなと打った>これが難しいバンクショットも一発で決まる、周りは拍手喝采だ~球がポケットインする毎に拍手が起こる・なにかがおかしいと感じる・又勝ってしまったよ~優勝戦になちゃった~
優勝戦の相手は敗者復活で来たので負けてももう一度できるとか~結構神経を使ったのでもう一度はやりたくないな~と思いつつ<優勝戦もヤマ勘だけだ~>
なぜかこの時も有利に流れてゆく、残り球が4球の時に狙い球の正面に邪魔してる球がある、これはクッションを利用して、それもかすかにすれすれに当てないと入らない<こりゃ~無理だな~>
あ~あのへんに打とう~と時間もかけずに打った<球はかすかに薄く当たった>狙い球がスローモーションのようにゆっくりとポケットへ流れてゆく~
見物客からウオーと言う歓声と拍手が場内に鳴り響いた~入った~そしてストレートで優勝してしまった。

スタートから二時間を超えている<優勝カップと賞状・賞品を貰った>マイクに何か感想をと云われ、何を言っていいのか戸惑いながら・始めて来てこんな幸運に巡り会えたことに感謝します、皆さんどうも有り難う御座いました~
対戦者のことは眼中になく<ただ迷惑をかけまいと早打ちをした>相手はこのペースに巻き込まれてしまったようだ~<無欲の勝利とはこんな事なのか~>
信ちゃんはショックだったようだが・その後も彼にはカモられ続けた・勝負事は何が起こるか解らない・実力だけではないんだ~と・身をもって知った・ワクワクと楽しい一日だった・
34)一年間競馬場に通ってみた
遊び仲間の彼女達は幸ちゃんほど稼げないので勤めに行きだした・一人時間が多く場外馬券場に行くことに・最初に馬券を買ったのは20歳の時、シンザンを買えば儲かると次郎ちゃんに誘われて馬券を買ったが、そんな時に限ってシンザンは馬券圏内に入らなかった。
京阪電車に乗り淀屋橋駅ー淀駅までは押すな押すなで満員だ~淀駅に着くと流れるようにドッと降車する~下車後の車内はガランとなった~これじゃ~地元の人は迷惑だろうな~と思いつつ、人混みに合わせてついて行くと着いた~
正面から見るとオ~でかい~デパート以上の大きな建物を見たことがなかったのでビックリ!だが中へ入ると横並びの客席なので奥行きはなかった、客席の一番上から競馬場を一望すると真ん中に池があり白鳥が泳いでいた~


競馬場って広くてきれいなんだ~緑の芝生を見れば何かと落ち着いた気分になれる、30分~で次のレースが始まる、その間に食事や競馬新聞を見ながらパドックで馬を見たりで楽しめる・馬券を買う時は期待でワクワクする・結果は負けて帰るのだが~帰り道は夜店の集まりみたいに賑やかだ~
ぞろぞろと続く人波にお店のおばちゃんが・いらっしゃい・いらっしゃいと声をかけている・店内は満席だ~酒を飲みながら勝った負けたと花を咲かせるのか・こんな世界もあるんだ~
次は車で行こう~豊中ICー京都南ICー京都競馬場まで~ここでも驚いた!こんなに広い駐車場なんて見たことがない~まるで荒野のようだ出入口はどっちだろと迷ったが~人の行く方向についていった
阪神競馬場へも電車で行った・梅田から阪急電車に乗り・西宮北口駅で乗り換える・これは不便でマイナスだと感じた、仁川駅から競馬場迄歩いても京都競馬場程の賑やかさはない~
競馬場には色んな人が来る~20代は少なく年層が上がるほどに増える50代・60代が多かった、好天の日だった<三人の会話に加わってみた>50代の紳士系の人が、私は競馬に負けることはなく勝った金額から毎年納税もしていると言い放った・ほんとかな~と、今でも半信半疑だが~
どうせなら一年間を休まず競馬場通いしてみようか<それだけやれば満足するだろう>ある時は電車で・ある時は車で雨の日も風の日も競馬場に行った・そして一年間通った~馬鹿だ~
あの時もそうだった:日々違った女性と ”交われば” 何日間続けられるか~やってみた!9日9人で10日目は受けつけなくなった~理由は差し控えるが<経験した者でしか解らない>


ものはついで~社会見学だ~
平日は競艇や競輪場に~住之江競艇場の入口で予想誌を買って入場、平日なのに結構人がいるもんだな~お客さんの層は労働者風が多い、近くの工場や商店とかの人が仕事の合間に舟券だけを買って帰る人もいる。


場内には食堂がいくつかあって簡素だが結構美味いモノもある、客席はワイドに拡がりレース場を見渡せる・この水中に魚はいるのかな~と思って探してみると・鮒が泳いでた・
場内放送で大きな声が流れてきた:<第8レース1800メートル3周>
一周600mを3周するようだ、エンジン音とともに6艇が思惑のスタート位置からダッシュする、この瞬間が見どころのようだ~
6艇なら当てやすいかも・だが~配当率は低くなりそうだ~と思いつつ・客席で予想誌を見ていると、後ろから声が聞こえてきた~
<さあーいって~さあーいこか~>と意味不明な言葉を連呼してる、すると何人かがお金を渡して紙切れを貰っている・ノミ屋(私設投票)だ~なぜ売り場で買わずにノミ屋を利用するのか・解った~売り場で買えば100円・ノミ屋は90円・一割の得だ・なるほど・それでお客さんはいるんだ~


レースは終りガヤガヤと歩いている~一人のおじさんがバックの中から10cm程の写真を取り出し地べたにばら撒いた《一枚¥500》と言った<見ると女体丸見え写真だ>なんとこぞって買い求める人達が居るではないか、おじさんは収益が上がれば早々と立ち去って行った・結構儲かってるんだ・
すぐ横では小さなテーブルの上に<タバコ3個を並べ・裏側一個に目印がある>指先で2個を持ち交互に移動しながら並べる<さあ~どれだと言ってる>千円を賭け目印タバコを当てれば二千円になる・ここにも人が群がってる<街頭賭博だ>これは戦後に外国から渡ってきた賭博だ<これはおいらは得意だ・バーテン時にお客さんとゲームで楽しんだ>
次は競輪場だ~岸和田競輪場と和歌山競輪場へ電車で行った、両方ともに平日で人出は少なかったがマニアックなお客さんが多いとかで客層も競艇とよく似ている、楕円形内を2000m走る競技だった。
残り一周半でジャン(打鐘)が鳴り響く<ここから仕掛けて全力でペダルを踏み込む>瞬速70kmでゴールを目指す、勝ち負けはタイヤ差(数センチ)の時もあり、狭いバンクの中で駆け引きと持久力の伯仲戦だ~


これで公営ギャンブルは一応体験したかな~中央競馬は土日開催で客層も幅広いが競輪・競艇は平日開催で仕事の無い人や独り者が多いんだろうな~
ギャンブルをやれば誰しも思う:何か必勝法はないモノかと<この時に考えた~>後に販売する事になる。
ギャンブルと宝くじの違いは:宝くじは空想願望に近い・ギャンブルは必ず的中がある:予想誌の把握と感になる<これは推理ゲームだ>なので予想をしてる時が楽しい~
35)世の中にこんな人もいるのか
脇田温泉から戻ったよっちゃんが天下茶屋の駅前に喫茶スナックを開店
じゃ~無給で手伝うよと声をかけた<お姉さんが資金提供らしい>お姉さんには山さんと言う50歳位のスポンサーがいた・山さんに奥さんはいるが体調が悪く・お姉さんが事実上の奥さんとして稼業を切り回しているようだった。
山さんはいつもゴキゲンな表情で笑ってる・外見はキンチョーのCMに出ている笹野高史さんにそっくりだ~
みんなでフグを食べに行こうと誘われ、幸ちゃんも一緒に黒門市場そばにある有名フグ料理店に足を運んだ。
山さんは常連客らしく仲居さんは愛想良く広い座敷に案内してくれた・山さんにはボディーガードが二人いてお姉さんともう一人<胴元と言う人が来た>よっちゃんにおいらと幸ちゃんで8人が同席することになった

仲居さんへの注文は<フグのセットを20人前>と言うので、あれれ~と思った<山さん曰く>これでもすぐに無くなるからと・その通りだった・次は15人分を注文したがこれは無理だろうと~案の定食べきれなかったが、山さんには残すことは当然のように思えた・
喫茶スナックに山さんが来店した時に・賭け事は何かやってるのかと聞かれたので・たまに馬券を買って遊んでますと答えると<そうか~じゃ聞いてみようと>店の電話を手にしてもしもしOOさん~うちの若い子が競馬をやってるんだけど、今週のレースで何かいい馬いませんか~
日曜日の8レースのOO馬を買えばイイらしいと言われたが、いつも9レースから始めるので買わなかった<この馬は2着にきていた>電話の相手は競馬会のおえらさんで馬主だそうだ。
スナックにアルサロ・ミス大阪のマネジャーが来店し・山さんと会話を交わすことになった・じゃ~今度店に遊びに行くから~と言っている

次回マネジャーが来て・驚いたと言う・出勤ホステス全員70名の指名料を支払ったとか
ある日:白浜温泉に遊びに行こうと山さんに誘われた・列車の方が安全でのんびり行けると天王寺発で行った・信ちゃんも誘って7人で白浜に<旅館で仲居さんに部屋に案内されたが>このフロアーには他のお客さんの姿が見当たらない>聞けばこの階は貸し切りにしてあるから・どの部屋を使っても良いと・
山さんの金遣いは常識外だ~<これは普通に働いている人には出来っこない>よっちゃんに聞くと野球賭博で負けることがないらしい、その掛け金も一週間単位で上限の2000万を賭けるとか、全部当たれば一割の手数料を引かれ1800万円の利益を手にすると言う、オール勝ちも何度かあるとか・へえ~
遊びも極めていた、南の有名なクラブ・ラウンジには一番高価なボトルをキープしてあり、毎日を飲み食いで過ごすしかないとか・この人はお金を使うことが仕事なんだ~あぶく銭とはこのことか~
ある時・山さんに野球賭博って勝てるんですかと尋ねると・都市対抗野球は勝ち負けが読みとれると・表グラフを見せてもらった。
賭博はプロ野球だけではなかった、相撲も西と東にハンデをつけて賭けの対象になる、プロ野球は上位チームや勝率の高い投手が投げる時はハンデが付く(賭ける顧客も有名人や驚きの公人も多数いる)な~んだ世の中~やってることはみんな同じなんだ~胴元は週に数億のお金が動くと云う~
山さんは常勝組なのでお返しに胴元主催の賭博場に通っては100~200万円ほどを落とすとか、ところが負けようと貼っても勝つ時があると笑っていた・それが賭け事なんだと・一緒に行こうと誘われたが賭博の雰囲気は好きではないのでお断りした。


山さんは釜ヶ崎に二軒の簡易旅館を所有している、なるほど~この地区で育ったんだ~それで人慣れも遊びも長けてるはずだ~なっとくだ~
この釜ヶ崎地区は貧困・スラム街とかで紹介されるが~実態は労働者の勤労区であり高度成長期には日雇い労働者が1万~2万人も集結していた、一日に落とす金額は2億~3億円なのだ、数百平方の敷地内で日々これだけの現金が落ちる街は他にない。
近隣の飲食店は連日賑わい大盛況になる・彼らは特定住居でなく日払い・月払いの簡易宿泊所やビジネスホテル風の宿で仲間と酒とで暮らしている<ここは天国釜ヶ崎>歌の文句通りだったのだ・世の中解らないモノだ~
気がかりなのはよっちゃんだ、山さんを身近に見て彼も博打に興味が沸き賭場にも何度か通ったことがある、麻雀もそうだったが正直言って彼は博才がない・やはりと言うかその後に賭け事で失敗をし逃げるように博多に行き半場土方をするようになった。
山さんを見て思ったのは・悪銭身に付かずを地で行ってる・いつも笑っていたが・なにか悪い前例を見たような気もした
フリーライフを楽しもう
1970年・大阪万博博覧会が開催された、先端技術・未来型都市空間・パビリオン・岡本太郎創作太陽の塔・三波春夫の万博音頭と華やかにオープンした~

さっそく行ってみた、広い駐車場は満車状態で入口から人人で溢れかえっている<こんな人混みは初めてだ~>アポロが持ち返った「月の石」をひと目見ようと長蛇の列に『来た以上は何としても見るしかない』90分程でアメリカ館に入れた、館内は歩ける状態ではなく群衆に押されて自然に足と体が動いていった。
あ~あれだ~柵に囲まれ中央の台にカプセルが置いてある<その中に数cmのちっぽけな石が入ってる>これなら岩山の石を割って入れても同じじゃないかと思いつつ、なにかすごいものを見た気分になるのは人混みのせいかも知れない・
群衆と一団となって足が動く・徐々にその場から遠ざかって行った~気が付けば汗だくになっている・やっと出れた・こりゃ~疲れるわ~
次回は暇な時期に行こう・平日の昼前に行くと案の定と言うか人が少ない、のんびりと各館を見学でき<月の石も並ぶことなく最前で見れた>その後も4度行ったが人出の多い時と少ない時の差が大きい、人の少ない時はなぜか面白くない<混雑してる方が気持ちを掻き立てられて楽しく感じる>おかしなものだな~
近年の調査結果で:あの月の石は地球から月に飛んで行った隕石(いんせき)だったとか・米航空宇宙局(NASA)で判明・な~んだやっぱし岩山の石と同じだったんだ・
この時代は高度成長の渦中にあり新聞の求人広告は二面以上もあった、どこも人手不足で仕事に不自由はしない。
夜の街も盛況だった・南に三軒のサパークラブがあり・ポピューラーな笠・大人の雰囲気の淀・マニアックな青い城といづれも生バンドの演奏で踊れる、食べ物も高級感ある創作で今風の飾りつけをしてある、これらの店は深夜の方が忙しい・ホステス連れのお客さん達で盛況になる・笠にはよく踊りに行った・
そんな中で変わったスナックがあると耳にしたので行って見た・入口で靴を脱ぎ靴箱に入れる・レジーで¥1500先払い・足を踏み入れると通路は狭く真っ暗闇になっている、足元はグラつき動いたりもする・黒い天井や側面から人の手なのか、お化けが出てきたり・前々に進むと四角に閉じ込められた所に入る・出口が解らない、左横の半面を押すと出れた。

中は高低の段差があったり・板とカーテンで個々に囲ったBOX席があったり・奥に進むと円形の段差作りは囲炉裏の様な感じでくつろげる・なるほど、ここは女性を口説く時に連れてくる店なんだ。
入口通路の天井に絵が描いてある・その絵は女性のある部分だとか・だが大き過ぎて何の絵なのか誰も気づかない・
クルーザーの写真
雑誌を読み漁ってると・クルーザーが載っていた・カッコイイ・これはお金持ちの遊びなんだろうな~いくらするんだろ、1200~2000万円もするんだ<こりゃ手が出ない>が調べてみると価格の50%は贅沢税(当時)だとか~

えっ~実際は半額なんだ・手作りヨットの広告があった<21フイートが200万円>これなら制作中に材料を買い足せば何とかなるかもと、信ちゃんにヨット造りの手伝いを頼んだが時間と興味がないとかでダメだった。
じゃ~諦めよう<これはやらなくて良かった>材料に多量のアスベストが含まれていた・狭い船室で作業をすれば肺疾患になっていたはずだ・助かった・
飲み歩きウオッチング
夜は飲み歩き・はしご酒をするようになった・笠屋町~坂町付近も小さなスナックが多い、マスターやママに《いつ~どうして~なぜ~この店を始めたのですか?》聞けばその人の人間模様が見えてくる~話は尽きない。

<何十件と飲み歩き:それぞれの生き様を知ると・徐々に読めてくる・似たり寄ったりになってきた>
ポルノ雑誌
やることも無くなったので見学がてらに働きに行こうか~求人広告のラウンジ・ウエイター募集をみて行くことにした、店は7人のホステスと男性二人、ふた月過ぎた頃にお客さんがホステスに・こんなものがあるんだと・アメリカのポルノ雑誌を開いて見せた~
ウワースゴイ・ホステスの黄色い声に思わずチラっと覗くとA4一面に女性のオールヌードが載っている・こんなデカイ写真は見たことがない・その時に脳裏をかすめたのは住之江ボート場で売っていた10cmほどの写真だった。

これは面白そうだ<作ってみようか>月末に退店願いを出した~
カメラを持っていない<しっかり者の五郎ちゃんに借りよう>気のいい彼は二つ返事で貸してくれた・次はモデル探しだ・踊れる洋酒喫茶でゲットしようか・土曜夜に探しに行った、お酒を飲んで誘えば失敗するかもとジンジャーエールを注文し踊り場で物色してると目についた女性を見つけた・
声をかけカウンターに誘って飲みつつ<今から付き合って>と外に出て車の中で話をした<写真のモデルがいなくて困ってるんだ>顔は写さないからと頼みこむと・意外とすんなりと決まった・無事モーテルで撮影を済ませることができた、手や髪の毛で顔は隠れるように撮ったので本人とは判明できない・上出来だ~
しかしながらカメラのレンズを通して見る姿体は通常で見れないほど刺激的だった・ふ~ん・ヌードカメラマンはこんな心境に陥るのか~
印刷屋さんを探さなきゃ~
普通の印刷物ならともかく、こんなオールヌードの印刷を飛び込みで頼めることなどできない、こういう時に地方出身者はコネがない<取り合えずは友達に声をかけることにしよう>みんなに頼んでおいた・すると3日で連絡が来た~
知り合いのホステスが常連客の印刷屋さんに話をすると引き受けてくれたと云う《お客さんはホステスの頼み事はよく聞いてくれる》早速社長に会って頼むことに・3000部・注文した。
社長もバイト収入だと言って日曜日に輪転機を廻してくれた、夕方に出来上がったので引き取りに行くと、なんと重い・写真用紙の重さには驚いたが、仕上げも上々で流石に本職だ~
さあ~売り込みに行かなきゃ~なんら経験も知識もないがとにかく何処か探そう、近隣の和歌山市に遊びがてらに行っては見たがローカルにアダルトショップはなかった・ん~やはり東京か~ドライブでも楽しもう~
高速道路で東京へ・熱海温泉に寄って一泊したが、思ったよりも小さな温泉地だ~此処なら白浜の方が広くていいな~と感じる、翌日に新宿に到着~歌舞伎町をひと回りして、通りに面したアダルトショップに入った。

店内は大人のオモチャやらヌード雑誌が所狭しと花が咲いたように賑やかだ~おじさんが一人<やはり店主は居ない>この人じゃ話は通じないけどしょうがない・写真を見せるとオ~という表情だったが、サンプルとして渡した<他店もやはり店主は居ない >店はお任せて遊んでるんだな~ サンプルで置いてきた
ついでに昔働いた西武新宿駅前の店に行く・懐かしい・中に入ると女性カウンターの店に一変していた:超満員でごった返している~店長を呼んでもらった<おいらが辞めた後に女性従業員に切り替えたらしい>翌日に大阪へ戻った。
名刺も持たず・水商売上がりの無知の行動だと気付いたが、これで喰っていくという意識がないので後に連絡もしなかった<2年後に新宿からビニ本が販売された>これが大ブームに>店主はビルを建てたかな~
<在庫本は・知り合いの知り合いとかが現れて原価で引き取ってくれた>
動物好きの友達
幸ちゃんの同僚ホステスが旦那共々に超ネコ好きだとか<面白そうなので遊びに行った>2DKの部屋に通路も猫ケージが置いてある、14匹もいるんだ~狭くて横歩きする、部屋の中は猫の置物だらけ。箸からスリッパ衣類も猫ネコちゃん・犬も2匹いる・こりゃ~大変だ~
血統書付きのペルシャ・シャム・ロシアンブルーを飼って繁殖しているという、賞を取った猫も何匹かいた、色々とコンテストの説明を聞いて帰ってはきたが・この夫婦は本当に猫好きなんだろうか?檻の中に閉じこめた猫は幸せそうには見えない・可哀そうに思えた
それに刺激されたのか~子供の頃のジョンと家に居た番犬タローを思い出しポメラニアンの雄を飼うことに・一匹では淋しいだろうと三ヶ月して雌を飼った・その後に子犬ができた・コロコロとしててなんとも可愛らしい・それから犬の能力を改めて知る~

動物がいると平和な気持ちになれる・愛犬は二足歩行が出来た
36)卒業しよう・ヒモ生活を・
相も変わらず暇な時は潮岬・日ノ岬へと釣りには出かけたが、釣った魚は一度も食べたことがない<これは少年時代から続いている>最初に釣った鮒が可愛かったのとミミズの餌だった・食べる気がしない・なのに買った魚はよく食べる・なにか矛盾してる・他の人はどうなんだろうと調べてみると・いるいる・理由はよく似てる・やはりそうなんだ~
卒業しなきゃ~
そうこうしているうちに、いつしか5年になる<昼も夜も好きなだけ遊べた>が・もうすぐ30才だ~これ以上続けると自分を見失ってしまいそうだ。
このまま一緒に居れば”現状”から逃れられないだろう・彼女は独り立ちできる能力がある・別れよう・
幸ちゃんも金銭欲がなく一緒に住みだして数か月後に、100万円貯まったけどあんた使ってと云うので<自分で稼いだお金だから先々の為に残しといたら>と伝えた、こういう人はお金は貯まる・ましてや高級クラブに勤めていれば客層も良い<色々な情報も入るだろう>彼女ならやってゆける・
そして心情を説明し別れを納得してもらった、その時<私はこの先どうすればいいのと聞かれたので>ビルやマンションのオーナーを目指すようにと勧めた・
幸ちゃんは新しく部屋を探し子犬を一匹連れて引っ越しをした・それから18年後だった用事で大阪商工会議所に行った時<ビルオーナー名簿>に彼女の名前が載っていた・流石だ~やったね~良かった~!

振り返ってみれば
この数年間は人生の中で一番恵まれていた期間だったと思う・若き日に世間を観察できた~<世の中は遊びから知る>と・どこかで聞いたような気がする~




人は何のために生きてるのだろう~ビルは建ち・車は走り・歩いている人はみんな仕事をやっている、まるで働きロボットだ~これが一生続くのか?しかしそれがあってこそ生きがいや目標もでき・喜びや悲しみを味わうことができる~


だけど:ロボットのままで一生を終えたくないな~
37)職場はディスコだ~♬ 楽しい ♬
一人生活がスタートした!
自立しなきゃ・仕事探しだ~夜の仕事は二度の中途退者で消化不良のままだ~それでは出かけよう・以前に働いていた宗右衛門町の洋酒喫茶に行って見ると経営者が替わり・ディスコ風に様変わりしていた・その時の主任が店長に~
なんと~この人はずっとここで働いてたんだ・カウンターに座ってると店長が声をかけてくれた、もし仕事をやっていなかったら働かないかと<えっ~渡りに船とはこのことだ>お願いしますと即答した~こんなこともあるんだ・ツイてる
月給は22万で休みは土曜日以外に月3回を選べる(平日は午前1時まで土曜日は朝5時まで営業)休日出勤は加算されるという・条件はどうでも良かった・仕事に飢えていたのか・働ける喜びと感謝だ~<やはり人間は仕事が必要だ~>


翌日から主任として出勤することになったが、二日後と三日後に新しく主任が一人づつ入店して三人になった、丁度この時期に募集をかけていたようだ~
三ヶ月半は一日も休むことなく休憩もせず・多忙な時はウエイターを手伝う・仲間達に信頼されなければいけない・それには見本となる姿勢で人の倍は動かないと認めてはくれない・二人の主任は二ヶ月と三ヶ月で辞めてしまった。
三ヶ月が過ぎると気心が知れて皆と談笑する機会が増えた・4ヶ月後・マネージャーに昇格した。
マネージャーの仕事ってなんだろうと考えてみた、サービス業だから一番はお客様が安全に楽しんで貰えるようにバックアップすること、従業員には働きやすい環境を作ってあげる・これしか頭に浮かばなかった・もうひとつ浮かんだ・店長に楽をしてもらおう、おいらが働くほどに店長は楽になる・
38)ディスコブームの到来
その年の11月に全面改装を施し<ディスコB&B>になった、日本バンドとフィリピンバンドが交代で演奏をする、ずっと音楽が流れている・お客さんは夢中に踊って楽しんでいる・こんな中で仕事ができるとは何とも楽しかる~かる~
日本バンドのギャラは100~120万円・フィリピンバンドは2~3ヶ月で交替・一人30万円で6人なら180万円(住居と食付き)をプロダクションに支払う。
毎日聴いていると双方の演奏に大きな違いがあった、日本バンドは楽譜とにらめっこ・表情はうつむき加減の姿勢になり無表情で演奏をする・ここはディスコでお客さんを楽しませる場所なんだが・と・
バンドマスターにそれとなく尋ねてみると<やはり楽譜を見ないと演奏できないとか>習慣漬けになってるんだ~それ以上は突っ込めない<フィリッピンバンドは違った>それぞれの個性で合奏をする、お客さんの踊りを見ながら演奏できる・笑顔もある・だから女性にもモテる。
バンマスに楽譜は見ないのかと尋ねると楽譜は読めないと言う・皆子供の頃から音楽が好きで・曲は耳で憶えたと~なるほどこれがその差なんだ~どちらが楽しいかと言えば当然の如しである・
店内で物足りない部分を感じていた<おいらはよく遊びに行き踊ってもいたので解るが>照明がほったらかしで活躍していない・たまに店長が触るくらいだった・こりゃ駄目だとストロボや多色変換のステージライトを曲に合わせてコントロールした♫ これで倍ほどに踊り易くなったはずだ ♫
この頃~ディスコが世界中で流行り出した<来客数も上昇の一途で>有名人も見学がてらに遊びに来たりで多様な人達が踊りにきた・働く側も楽しい・
情報誌を読んでるとアメリカのディスコはレコード音楽で踊っている・そうなのか・じゃ~今からはレコードの時代になるんだ~早速・店長に提案をすることに・バンドからレコードに切り替えれば経費節約になるはずだ




本社の部長に反対をされた・諦めずに2度目の説得をした<バンドは新曲を覚えるまで時間もかかり曲数が少ない>レコードは新曲を随時流せる・設備費はバンドを一つにすれば三月で元は取れる・
じゃ~ディスクジョッキーはどうするんだと部長に問われ<私がやりますと答えた> 当たって砕けろ~ だ ・ 人の出来る事は誰だって♬やればできるが信条~
DJのコツをフィリピンバンドのバンマスに聞いてみよう<その曲の歌詞や一節を取り入れればと良いのでは>と教えてくれた、そうか~それが基本なんだ~途中にハヤシ立てるExciting wordsを投げればイイ~
DJをスタートした「 ザッツ・ザ・ウェイ」レコードを回してハヤシ言葉をかけるとみんなが一体になって踊ってくれてる ♪ 同化してる ♪ なんとも楽しい~ こんな楽しい仕事があるんだ~イヤーこれは仕事じゃない・遊びだ~おいらが上手く遊ぶほどにお客さんは楽しくなるんだ~~コツがわかったぞ~
それにしてもフィリピンバンドの給料は安い、バンマスに問うと手取り¥5000~¥8000円だという、6人メンバーでも5万円で足りる、プロダクッションのピンハネってすごいな~と感じた、こりゃ悪業だ~往復の飛行機代や諸経費を支払ったとしても・これが世の中のシステムなのか~彼らを応援したくなった
店は順調だ~ディスコブームでヒット曲が次から次へとリリースされる・一発屋のバンドも登場し一曲でも当たれば世界中に売れる・一生食べれるゆける・時流に乗って彼らも売れる時代だった~




スウェーデン出身の男女4人組 アバ(ABBA)は大ヒットした<名車ボルボ社よりも納税額が上回った>何とも驚きだ~音楽ってこれほどの収入になるのか~知らなかったな~
土曜日は来客数が2000人を超えて通路もホールもごった返している<まさにサタデーナイトフィーバーだった>従業員は多忙で疲れる、ウエイターの給料は仕事量に応じられていないようなだ~ボトルキープ制にし歩合を付けるように提案をする、これで2~6万円ほど増額になりウエイターも喜んでくれた。
ブームになれば多少のことは無理が効く・ボトルキープ制でも応じてくれる・チェックアウト時間も必要になる、これをやらないと広い店内でも身動きが取れない~
同じようにインベーダーゲームがブームになっていた~やってみると面白く結構夢中になる・テーブル式なので店に置けばと考え・業者を呼んで12台ほど設置してもらった~
これなら踊っていない人にも楽しめる~おまけにバックマージンがあり一石二鳥だ~この収入は従業員の慰安に使おう・年末の忘年会の時に思い切りご馳走を出した~




インベーダー収入とおいらの折半で100㎏のバーベルを休憩室に設置した・皆も暇な時にやりだした。
この店は従業員の寮や23名乗りマイクロバスもあった・送迎や季節ごとに海水浴・ハイキング・スキーや慰安旅行に活躍する・お水の仕事にしては整っている・おまけに景気が良いので毎年昇給とボーナス迄貰えた・ありがたや~
39)店内で喧嘩が始まる
仕事にイイこと尽くしはない~悪いことも多々ある~その一つに土曜日には喧嘩が多かった・3度の時もあった~
ウエイターが止めに入り5~6人が集中してもみ合ってる、その中に拳を上げて殴りかかろうとする男がいた、その右脇をおいらの右腕で絡ませ後ろ手に羽交い締めにした、彼は切り離そうと暴れもがくが動かない、しっかりと絡ませ思い切り上に締め上げる~3分程するとおとなしくなったので手を離す、この男は一度ではなかった~


2回目・3回目の時も同じように羽交い締めにされたので、さすがに懲りたのかそれからは喧嘩はしなくなった、彼は何処かの組員だった~
喧嘩の仲裁は危険だ~双方ともに不安と緊張を持つ中で矛先が仲裁者に向かうことは多々ある(これは二人にやられる)君子危うきに近寄らず・
大阪の番長だった
この日・店内に立っているとやや体格のイイ若者が話しかけてきた、店の事やらを聞いて軽く会話を交わしたのだが、2週間が過ぎた頃に又話しかけてきた~気さくで話しやすい若者だったので世間話に付き合った、三度目の時に彼はこう言った<マネージャーに頼みがあるんだけど聞いてくれないかと>
どうしたのと聞くと・少しの間だけどチャカ(ピストル)を預かってほしんやけど、それは無理やな~と返答した、彼は想定内の言葉と受け入れたようだった、それからひと月も経たない頃にウエイターが話しかけてきた・彼は死んだそうです・彼は大阪で一番の番長だったんですよ~なるほど18才だったのか、それにしても落ち着きがあった~
ピストルは人を殺すための道具だ<それ以外に使い道はない>そんなモノは必要ない・人を殺せば自身も死ぬ覚悟はするべき・ニュースを見るたびに思う・殺人を犯したなら即自首してくれ~逃げて生き恥をさらさないでくれ~と言いたい、人の命は誰しもが同様・同格だ~
40)弟が調理師を目指すことに
弟から連絡が来た
マネージャーになって間もない頃だったが、23歳になった弟から連絡が来た、今から調理師を目指したいので何処か働く所はないだろうか・大阪で学びたいのでそちらに行きたいと<それじゃ~キッチンのチーフに聞いてみよう>
チーフ曰く・調理師を目指すには鍋洗い・掃除・包丁研ぎからどんな下働きでも文句ひとつ言わずに耐えて<無心でやれる中卒が望ましい>基礎から叩き込んでゆけるからと、23歳からでは耐えられるだろうか~<やはり厳しい世界なんだ>だが弟も考えた挙句に”志”を決めたわけだから・何処か探さなきゃ~
三つ寺筋を歩き回ると角に寿司屋があった<板壁に募集の張り紙に住み込み可と書いてある>そう言えばこの店はずっと以前から貼ってあったはずだが~従業員が続かないんだ~




だが~気になるので何人かに店の評判を聞いてみた~するとあの店は値段が高くて通えない・藤山 寛美さんが常連客だとか・そうなのか~藤山 寛美さんは食通だ~これも縁だと思い・その店を勧めることにした・
出勤は午後2時から~掃除・仕込み・準備~営業は午前3時まで、それから片付けとかで帰って寝るのは5時頃になる・自由時間なんてまるでない・まさにクタクタの働きづくめだ~弟はこれに耐えた・我慢して耐えて学んで三年余を乗り越えた~そこはふぐ料理もありでふぐ免許も取得していた・よく辛抱したね~


それから市内の寿司屋に転職の後、博多に戻り調理師連合に所属する<島根や熊本の料理旅館で料理長を勤め>料理の鉄人で日本一と謳われた道場六三郎さん監修の大型店が博多にオープンした時・弟は料理長になっていた・勉強家だ~
その後に今度は末弟が来阪してきた、弟の話では親父の納税額が福岡市で8位、福岡県で14位だったという・ふ~んそうなのか~
新聞とかで高額納税者の番付を見る度に<こんな人達はどんな生活をしてるんだろうと・想ったことがある>我が身を振り返えれば子供の頃におやつや甘いものを食べる事もなく・虫歯にもならなかった~腹が減ると水道水で満腹にしていた~そんなおいらが高額納税者の家庭で育ったなんて~と思ったら笑いもでない~
考えてみれば親父は博打には手を出さなかった・中洲に飲みに行くこともなかった・その気になれば行けただろうに、近くの酒屋か家飲みだった~友達付き合いもせずに趣味もない・土地は買ってはいたが・高度成長期に入り土地価格の高騰で売却したのか~
親父もこれほど土地が値上がりするとは思ってもいなかっただろう・当人が一番びっくりだったかも・放置していたあの220坪と150坪の土地とか家も・
末弟はチーフの紹介で梅田地下街の天ぷら専門店に住み込みで働くことになった
料理人の世界は<料理長が弟子を引率して転職する仕組みになっていた>店側は料理長に毎月の契約額を支払う・料理長は弟子に手当を渡す・食材の仕入れ業者も料理長の一存になる・だから料理長は条件のいい店を自ら探しては弟子を引き連れて転職をするという・知らなかったな~

