P-3

目次

21)ボクシングを習いに行こう

2年生の時に一つ手前の駅に九州産業大学が開校した~大学ならボクシング部があるかもと・途中下車して大学生に尋ねると有るよとの返事だった・それでは見に行こう~

義父に殴られてばかりで・これ以上~人に殴られたくないとの思いがあったのだろうか~?

学内をウロウロすると大きな体育館があった:中では他のクラブの部員達も練習をしている<キョロキョロとする>見つけた~サンドバックとパンチングボールだ~8人程が練習をしている、自然と足が向いて行った~

キャプテンらしき人を見つけ~ペコリと頭を下げて言った<隣町の専門学校の者です>僕にもボクシングを教えてもらえませんか~

<キャプテンはイイよと言ってくれた>明日から来ます~宜しくお願いします~やった~これで少しは強くなれるかも~

翌日から通った:数キロのロードワークは走っては止まり・3分間ファイティングポーズをとりジャブ・フック・ストレートパンチを繰り出す、これを繰り返し最後は体育館へ走って戻る、キャプテンは西日本学生チャンピオンだった<流石にスタミナも体力もある>皆さん汗だくクタクタでついて行けない・ところがキャプテンについて行けたのは・僕だけだった~

パンチを繰り出すときはスピードがなによりも武器になる・スピードを身につけるには・速くパンチを出すことよりも<速く引く>ことにあると教わる~

二月ほどが過ぎた・練習用のグローブとヘッドギアをつけて実戦形式でスパーリングをやることになった・初めての3分はすごく永く感じた・緊張は余り感じなかったが双方とも全力を出し切った戦いなので終ればぐったっり・喉もカラカラになっている・ところが一分の休憩で体力を取り戻せるこれがロードワークの成果なのか

三度スパーリングをやったが:練習生の中では僕が一番強かった、これは家業手伝いの時にボンゴシハンマーで大きな鋳物叩き割る作業とかいろいろやって基礎体力ができてたのかも~

そんなこともあってかキャプテンが特待生に推薦するからうちの学校に来いとは言ってくれたが<僕には精神的な余裕がない>家から外の出れば元気だったが、家の中では萎縮して口を開くこともなかった<早く家を出たい

6ヶ月でクラブの練習には行けなくなった<それでも体力や気持ちに自信が持てる様になったような気がした>大阪でも二か所のジムに汗を流しに通った、この体験は自分擁護自信に繋がったようだ<ありがたい>

アア~モッタイナイ

この日は:仕事の手伝いがあった~大量の古物金属品が運ばれてきた、柳川の武家屋敷の整理品とかで、その中に江戸時代の銅鏡が200枚以上天保通宝や寛永通宝等の古銭が50kg以上、他にも武具や珍しい骨董品が色々とあった、

銅鏡を磨いて顔を映してみよう~ピカピカに磨き顔を見ると意外にキレイに映っている、江戸時代の人達はこの銅鏡を見ながらほくそ笑んでいたんだ~

これは古物や古銭商に売却すればもっと高く売れるはずだと~天神町の古銭扱いの店に行った、同じ物がケースに入って価格が書いてあった・家に帰って古銭で売った方が儲かるよ~と言ったが、面倒なのか相手にされなかった~モッタイない~結局は単なる金属類で合金製造会社へと運ばれていった。

22)家を出る時が来た

とうとうやって来た~義父が大阪の知人に頼んで就職先を見つけてくれた<フナイ電機だった>結局は家を追い出されたんだが~

嬉しい😃ここから卒業だ~

今まで

新聞配達やバイトの収入は自由に使えたので・スケート靴を買ってアイススートや魚釣り・映画・一人レストランにも行った・モノへのコンプレックスはなかった・ありがとう・

心残りは一度でいいから義父に褒めてもらい・頭を撫でてほしかったな~

<大阪行きの列車の中ではワクワクしてた~解放だ~自由だ~>

《お母さんは義父を一度もお父さんとは呼ばせなかった》

23)トラウマを抱える人生に

家を出てから気づいた~何でもない時にも<暴力を受ける姿が頭に浮かぶ>自由時間・仕事中・睡眠中とかも関係ない<逃れられない>これは一生続くようだ~

トラウマ:この病名はオーストリアの精神科医フロイトによって知られるようになった、心的外傷として悪い記憶が繰り返しよみがえる等の症状だそうだ~

最初にトラウマの病名を知った時は<日本語では・と思った>仔馬の目の前に牙を剥いた虎がいる・まさにその恐怖の構図そのものだ~

義父の事を憎むとか恨むとかはない:人を憎めば時間が止まる・前に進めない・それよりも未知の世界へ向かう得策だと知る<これが義父に教わった教訓>

母子三人を引き取って学校にも行かせてもらった<ご飯も食べさせて貰い生きて来れた恩義が優先だ~過去よりも未来だ~

僕はまだ救われている:世の中には実の父母から虐待を受けている子供がいる<この子達は悲惨だ>信じる者を失い・未来も希望も見いだせない<家庭内暴力は逃げ場所がないのだ~>

ニュースでそんな子供達を見ると腹が立ってしょうがない・涙が出てくる・もしその様な現場に出くわしたら黙ってはいられない~

<父母は心の支えであり・希望の源・生涯の神となる>

両親の離婚でパートナーが変われば<本来の性格と好みは混合し>特技もやることも歪曲する・勝手に離婚されては子供には大迷惑なのだ・

自分の欠点を知っている<可愛がって貰えなかった人は・可愛がる術を知らない>甘えを知らないので可愛くない、人を押しのけて前に出る事はなく・大した事は出来ない・やろうとも思わない<物質欲よりも精神欲が上回る>ただ友達は大切にする・当たり前のことだが裏切らない・友達は心のゆきどころになる・

孤独に育てば人様に頼ることや相談もせずに一人でやってしまう、誰かが何かをやりたいと言えば少々悪いことでも経験をさせて学ばさせる・とがめない

境遇や環境で性格・思考は育成される<友人や恋人ができたなら>生い立ちを問えばその人の性格・好みなりが読みとれる・それを理解すればより仲良くやってゆける。

風呂焚きも5ヶ月が過ぎた

少年時代を想い出せた~・やっと釜焚きさんが来てくれることになり・大阪に戻れる・賃金は貰えないと解っていたので・お母さんに汽車賃を貰って戻った。

24)それはデートクラブだった

又~一から出直しだ~

どんな仕事が向いてるのかな~と考えた結果<向きも不向きもない~やってからの話だ>好きや嫌いは環境が左右する~何をやっても大して変わらない~

そう考えながら~幼なじみの英機君が京都に居るという・会いに行こう

彼はお姉さん夫婦の所に住み・商品の配送ドライバーをやっていた・久しぶりに会えての談笑は嬉しかった<なにか仕事はないだろうかと尋ねると>近くの町工場で募集してるとか・じゃ行ってみよう・

仕事はケミコート:鉄板を酸性溶液(硫酸や塩酸)に漬け洗浄と除去作業~仕事は楽だったが硫酸のプールの中に落ちると一発であの世生きだな~と思った。

梅田から阪急電車で西京極を半年間通勤した:京都市内は路面電車が外周を走っているので解り易い、さすがに観光都市だけあって観るところは盛沢山だが、繁華街のコーヒーが千円とは・喫茶店にも入れない<物価も観光料金で高かった>

半年働いたお金で北区から難波方面に引っ越しすることにした<仕事も多そうだし・面白そうだ>徒歩圏内で浪速区大国町のアパートを借りた、4畳半・押し入れ付き・風呂なし・共同トイレで家賃¥5000だった。

《仕事はまだ水商売に興味があった・人との会話や人間模様を観察できて楽しい》

繫華街に出て宗右衛門町付近の募集広告を探すが・見つからず・歩いていると50歳くらいのおじさんに声をかけられた<お兄ちゃん~仕事はしてるの?>手伝ってくれないかと言われ、収入になればと・ついて行った。

元町の路地を入ったアパートの一室は6畳一間で30代と20代の女性二人がいた、おじさんに<名刺サイズの紙100枚>程を渡された、手書きで『お逢いしたいのみち子と電話番号』これしか書いてない。

これをチョットましな車のドアーの隙間に挟んでくれないか~なんだそれだけでいいんだ・簡単だな~これで日当千円も貰えるんだ<さっそく車のドアーに挟んで廻る>100枚はすぐに終わってしまう、又貰いに行くとおじさんと二人の女性がせっせと手書きをしている(配布が速く手書きが間に合わない)

毎日300枚ほど車に挟んで廻った・難波から梅田まで行った・ビジネス街の人達や風景をウオッチングしながら楽しめた~

配布を始めて4~5日で忙しくなった~一月後には新人女性も入店した・以前はおいらと同年代の近所の男がチラシを撒いていたが暇だったみたい<近所の男は怠け者の顔をしていた>おじさんにとっては良い拾い物だったかも<何しろおいらは健脚だから良く歩く>

《ここの女性たちが何をやってるとかは・考えることもなかった》

4ヶ月が過ぎた頃にチラシを貰いにアパートに戻ろうとすると・男性3人と警察官がいた・ひょっとするとヤバいかも知れないと思い・黙って帰った・その後は行くのを辞めた。

《後で知った:デートクラブと言うらしい》

売春防止法

売春は人類最初の仕事とも言われ:日本では江戸時代からずっと公認だったが戦後にアメリカGHQの要望で法制度が改正された<これは双方が合意なので被害者は居ない:合法の国もある>今もスポーツ新聞に広告は載っている・警察は年2回程の取り締まり月間に検挙に動くとか、これ等を<廃止>にすれば性犯罪の増加になるので暗黙に公認されている《AV&ポルノも然り》

次の仕事を探そう~

新聞の募集広告を見ても気が向かない、千日前をウロウロしてると赤電話の設置場所にチラシが散乱していた<女性とデートできますと書いてある>またかと思ったがココはデートだけのようだ<下欄にチラシまき募集と載っている>他に当てもなく・手っ取り早いしな~

電話をかけて待つと30代の男性が来た~小さなビルの事務所に案内され・室内に大きな棒グラフがあった・下に11名ほど名前が書いてある<チラシに番号が押してあり>電話をかけたお客さんに番号を聞けばキャッチ数が解る<それをグラフにする>月単位の歩合制で賞金もあるとか・取りあえずやってみよう

チラシ撒きは簡単だ~足を使うだけなので苦にならない~月間成績はダントツの一位給料は7万円を超えた・ホクホクだ~(当時は平均2万8千円)

その日も街中にチラシを撒いて周回していた<ちょっとひと休みしよう>電話置き場に立っていると横に可愛い女の子がいた・あっ~思わず声をかけた・明日の約束をした<胸躍る気分で一日が終わった>やった~

25)同棲生活は始まったが

今日は初デートだ・ウキウキ気分で喫茶店に行き<付き合いはスタートした>ひと月後に便利な所がイイと<鶴見橋商店街にあるアパートに引っ越し>家賃7000円<同棲生活が始まった>おいらはもうすぐ22才・彼女は18才・いづれはこの人と結婚をして子供を育てることになるかも~家庭生活が脳裏に想い浮かんだ毎日がごきげんだ~

f:id:goodlike-ryusei:20210912133318j:plain

仕事は将来喫茶店でもやるかも知れないと思いソフトドリンクの勉強をしようと難波の喫茶店で働いた、彼女は近くの喫茶店で勤めることに~

映画を見に行ったり海水浴や赤目四十八滝も行った、夏には二人揃って浴衣姿で祭りの夜店を闊歩しながら時節を楽しむことができた、彼女は従順で何事にも一生懸命に取り組むタイプだった順風満帆の日々を過ごせた

そうこうして一年が過ぎたある日曜日に彼女は岸和田市の親戚の所へと朝から出かけて行った・ところが夜になっても戻らない・どうしたんだろうと待ち続けて朝になる<何か悪い予感がした>心配と不安で居ても立ってもいられない<よく考えるとまだ実家も知らなかった>焦燥感だけが駆け巡る~そして4日後にやっと彼女の友人が知らせに来てくれた

交通事故に~<大切な彼女は帰らぬ人になっていた>言葉もない~

線香を上げに行くとおばあちゃんが一人で仏壇の前に座っていた・彼女には両親がいなかった~<なんと・苦労して育ったんだ~>一生懸命に生きてきたんだ~なんでだよ~なんでだよ~泣いた~泣いた~

それからは茫然自失の日々が続いたく自分が見えない・何をやっているのかわからなくなっている>仕事も辞めて部屋にこもっていた、3ヶ後にやっと働きに行ったが続かない・一日や三日で辞めた店もあった・しっかりしなきゃ~

そんな時・札幌で知りあったやっちゃんがウチの店に来ないかと誘われた、スナックはマスターとチーフと彼と4人になる、20時~朝の5時までやっている深夜族の店だった、他の飲食店を終えてからのお客さんやオカマさん・時々見知らぬ芸人さんとかも来た~

その中にテレビのMC を務め<物知りとして一世を風靡したK・龍太郎さん>当時は24才:この人はいつも年輩の男性と二人で来店するのだが<カウンターには座らない>従業員や他のお客さんと会話を交わすこともない・いつも角のボックス席で周囲を見渡すように~

年輩の男性は教育係のようだ<夜の事・店の事・お客さんの事・色々と解説をしてる>英才教育をしてるんだ~なるほど・世の中の表面を見せて教育をしてるのか~これは物知りにはなるが客観的で~実践的ではない~博識だが中身を知ることはないだろう~と感じた・ここも4ヶ月で辞めた・

次は宗右衛門町通りの店で働いた・ここは信ちゃんに誘われた・店長はスペイン系の26歳で長身の男前だった、女性従業員が4人いたがいつも店長や信ちゃんとキャーキャーと騒いでいる、お客さんそっちのけだ~店のことやお客さんのことなど考えてもいない。

なんともひどい店だ<規律なんてはどこにもない>経営者は店長に任せきりで顔を出さない、男前の店長を見るためにお客さんは来ない・何も学ぶべきものがないのでここも3ヶ月で辞める。

26)有名料理店が洋酒喫茶を開店

深夜スナックに勤めていたやっちゃんもも辞めていた<老舗料理店大和屋が大型洋酒喫茶をオープン>するとか・一緒に行くことになった

従業員は支配人やバーテンダーとか20数名を東京から引き抜いて来たとか、広々とした店内は中央に眩しく輝く豪華なシャンデリア・その下に50席ほどの丸カウンターがあった、他にも丸カウンター4つあり・上部にはシャンデリアが煌々と光っている・華やかな店だ~

店内はとにかく明るい・奥の方は白壁だけで絵も花もない・お客さんが酒を飲むには少しうす暗い方がジョークも言えて良いのだが~これが一流老舗店の思惑なのか、それとも”夜”を知らないデザイナーの発想なのだろうか~

開店前日のセレモニーTVの人気番組11PMの生放送店内の即席スタジオで行われ・藤本義一さんが店を紹介する・にぎやかなオープン披露だ~東京のバーテンダーがメインで大阪のバーテンダー4名は奥のカウンターに回された。

2週間が過ぎた頃においらと他3名が支配人に呼ばれた、従業員の中に指名手配中の者がいて寮に居るから捕まえて交番に連れて行ってくれと言う、気乗りはしないが仕方なく地下鉄に乗り4人で寮に出向くことに。

寮に着き3人に言った、4人では騒々しいので連れ出してくるからと<部屋に入ると逃げる準備をしていたようだ>ちょっと付き合ってくれと外に連れ出し彼の左腕をおいらの右腕に絡ませみんなで・交番所に行った、

お巡りさんに指名手配者ですと引き渡す<誰かが署名をしてた>彼には悪いことをしたな~と思った~

ふた月が過ぎたころ

出勤途中に後ろから声をかけられた、振り向くとデートクラブのアパートに時々顔を出していたやくざっぽい男(会話を交わした事もない)だった、久しぶりだな~今何をやってるんだと聞かれ<店の名前を告げると>解った今度飲みに行くわ~と言う。

内心は来なくてもいいのに<彼は暴力団特有の喋り方だった>どうもこの手の喋り方は好きではない、ひょっとするとこの人暴力団なのかな~と思いつつ

それから一週間も経たなかった:部長に呼ばれて退店してくれと言う<当店は暴力団と付き合いのある者は雇えないと>先日の男が来店し、この店にワシの友達が働いているんや~と言ったとか・

アレコレと言い訳をしてもしょうがないので<解りました>店ではやっと中央のメインカウンターに抜擢されたのに<ガッカリ>人間やってると色々あるんだな~また仕事を探さなきゃ~大変だ~

27)小さなスナックに勤めた

旧:歌舞伎座

又、出直しだ~何処でもいいや~新歌舞伎座の裏を歩いていると古く薄汚れた小さなビルに募集の張り紙があった、地下1階のスナックのドアーを開くと<8席だけのカウンターに着物姿のベッピンママがいた>クラブ上がりで初めての開店みたいだがママの雰囲気と店がマッチしていない~

開店準備に機嫌よく動き回る姿は見てて楽しい・彼氏はボンボンタイプの会社員風でスポンサーのようだ~開店日にはビルの入り口に6つの花輪が飾られた・最初の一週間は忙しかったが次の週からお客さんが減った~建物は古く・店も狭い・ママと不釣り合いだ<どうしてここを選んだのかな~>

店が終われば地下鉄は終電を過ぎているので毎日タクシー代¥500を貰ったけど歩いて帰ろう・これだけでご飯が食べれる・有難い~

閉店後にナイトクラブに連れて行ってもらった・アイジョージの来演で<マイクなしで硝子のジョニーを歌った>生の声が店内に大きく響き渡る・すごい声量だ~やはりプロ歌手は違うんだな~

店は3ヶ月で移転することになり・どうすると言われたが・やはり小さな店は性に合わないので辞めることにした・これも経験の一つだべさ~

28)親父の行動には驚いた~

辞めて間もない頃に弟から連絡が来た、おやじの次男が車に跳ねられ瀕死の状態なので帰って来てと・おいらは家族扱いされていなかったが取りあえずは行こう<帰ると面会謝絶で病室には入れなかった>

この時!なにがなんでも生き返らせくれ~親父は院長に頼み込む~院長は数珠つなぎで電話連絡をしだした・すると東京から<日本一の脳外科医を呼ぶことになった>深夜便の飛行機ムーンライトで博多に来た・早々と手術を終え・トンボ返りで東京へ戻った・こんなことができるのか~スゴイ!

次男は一命を取り留め僅かな後遺症で普段の生活に戻れる様になった<報酬は200万円だったとか>200万円と言えば以前にも:佐藤総理が北九州市に来た時に200万円の献金したと自慢げに言ってた記憶がある。

この事故の件は新聞に掲載された~それも交通事故ではなく保険金の2億円当時としては破格だったようで、おいらはそんなことは何も知らない・まあ~葬式がなくて良かった・大阪に戻ろうっと・

29)ミナミの大型洋酒喫茶

宗右衛門町に大型の洋酒喫茶があると聞き・働くことになった(100坪で240席)6つのカウンターにバーテンダーは24名・カウンターごとに売り上げ競争があった・入店2カ月でカウンターチーフ3ヶ月で総チーフになった

総チーフになったので何かやらなくてはと<今までに学んだことを教えよう>開店前の点呼時に時間を貰い<酒の知識・技術・マナーを教えテストも行った>お客さんとは積極的に会話を交わすように勧めた。

喫茶学校を卒業した吉田君は実践では何もできなかった:従業員には『こだま』で学んだサントリーとアサヒビールアポを取り工場見学へ連れて行った。

この店は立地条件が良いので毎日何百人もの来店客で繫盛していた、男子バーテンダーなので女性客が6割ほどになる、日々仕事に追われる若い男性よりも女性の方が遊びの時間があるんだな~と感じたが・女性は生涯のパートナー探しも兼ねてるかもしれないとも考えた・

来店客には男女ともに一人客が結構いる~何か良い方法はないものかと考えた末~相性を見極めてお客さん同士をくっつけることにした~

男性側におごって上げて下さいと頼むと皆OKが出るので簡単だったし喜んでくれた、この縁で何人かが結婚をしている・世の中解らないもんだべ~

仕事は楽になり・売り上げはトップ・手当は食費になった

おいらはお客さんの自慢話を聞くようにしている:なのでそれとなく話を引き出すようにもってゆく~酒が入って自慢話をするお客さんの表情が実にイイ~平和で楽しい~これで又来てくれる・チップも良く貰った、他のバーテンに聞けばチップなんて貰ったことがないという・そうなのか~

土曜日だった:満席の時にざわめきと女性客の驚きの声が聞こえたのでなんだろうと見ると、50代の男が席を立ちコノヤローと言って刃渡り12cm程のナイフを振りかざしている~ありゃ~りゃ~これは大変だ~急いでカウンターを出て、半分笑いながら男に言った~

なにやってんの~危ないでしょ~そんなものを振り廻して・ケガでもしたらどうするんだよ~さあーさあーポケットになおして~彼の手を取り促した~こちらが笑っているので男はキョトンとした顔でベルトのところに戻した、あっけにとられたような・表情をしてる~

会計伝票を手渡し・もう来なくていいから~と付け加えておいた。

こういう時は騒ぎ立てると余計に興奮し我を失う、何をしでかすか解らなくなったりもする<まあ~何事もなくて良かった>おいらは子供の頃からナイフや金属類は見慣れている、あまり怖くはなかったようだ~

日曜日に32歳と22歳位の姉妹が来店した:お姉さんが妹は綺麗でしょ~と言うので、ええ~綺麗ですねと返す、大人しい感じの女性で中の上だな~と感じた、翌週に来た時に妹と結婚してくれという‥答えようがないので笑ってごまかしたが、三度目にも又結婚してくれという<どうやら冗談ではなさそうだが>

根拠も理由も解らない・そんな言葉だけで結婚する人って要るのかな~?場所を変えて人情的な話でもすれば心変りもあるかも知れないが~

30)お水の従業員を誘うには

似たような話がある:梅田の”洋酒喫茶 日航”のマネージャーが来店した<休みの日にでも店に来て指導してくれないか>と言われたので掛け持ちで行くことにした<日航は女性客が多く流行っている店だった>

40代前後の女性二人が来店し<ねえ~こういうお店の人ってお金で付き合ってくれるの~>と聞かれ(その様に問われれば)ええそういう人もいると思いますよ~誰か決まればお伝えしますが<このような回答になる>

こういう時は:私ね~あなたが気に入ったの(又は好みなの)何時に終わるの~付き合って・どこどこで待ってるから~コレだけでいいのだ・

<男性がお水の女性を誘う時も同様~>

お目当ての女性に<俺、あんたが好きなんだ~今夜つきあって>の時に<脈無し返答>なら諦める(彼氏とか他に事情がある)ダメもとでも声をかけるべし

OKの返事なら<どこそこで待ってるからと伝え店を出る>ダラダラと長居はしない:メールならで何々ホテルで寿司を買って待ってるから:これだけで良いのだ<無駄話はしない・酔わないがコツになる>

上から目線の方が高率的:ペコペコする人と付き合っても楽しくはない

<要点は他の人に知られないように>それも初対面の方が確率が高いのだ<雑誌とかに3回目がとかあるが、それは実態を知らない記者の空想>店が信用なので約束をすれば来てくれる。

お金を渡す人と渡さない人の違い

終わって帰り際に車代と言って一万円を渡す人は長く続く・2~3万円をハイお小遣いと渡す人は長くは続かない、10万円とか渡す人は遊びも世の中も知らない<全くお金を渡さない人は結婚したりもする>

宗右衛門町の店も半年が過ぎた

仕事も給料も問題なく部下との信頼関係も上手くいってる、日々色々なお客さんと接して楽しい、先の事は解らないが充実していた~

そんな時だった~母から連絡が来た~オヤジが戻ってくるようにと言ってる<もう勘弁して~と断ったが>再度の連絡がきて・叩かれるからと言う・

<人の人生をどう思ってるんだろう><なんとも思ってないんだろうな~>

しょうがない~店を辞めて帰ろう:先が見えなくなった~

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次