11)初めてのバイト
家業を手伝うようになったのはお姉ちゃんが亡くなってからだった・トラックで運んできた合金や鉄の積み荷を下ろした際に散乱する金属片を一ヶ所に整理する、次の荷降ろしの置き場をつくっておくようにと・義父の指示でやるようになった・
現場の人はこの作業は義父がやってると思っている、まさか小4の子供がこんな重いモノを整理してるとは思わない<60kg以上とかの重い物はテコの原理を利用した>義父は手を汚さない人だった。
僕はお小遣いを貰ったことがない<誕生日のお祝いも知らない>欲しいモノはあったが、みんなが持ってるモノを持っていない・学校ではみんなの話を黙って聴いていた<買うにはお金がいる>納豆売りや新聞配達をやればお金が貰えると同級生が教えてくれた、それではとすぐに納豆の販売所に面接に行った(この時は新聞配達の募集がなかった)


納豆売りを始めた
小さな台を首から担ぎ、博多名物のおきゅうと納豆を売る・ 精一杯に声を張り上げ<おきゅうとに納豆~>を連呼した・二日目は全部売れた・と言うより僕んちはその時9人が食事を摂っていた、義兄(義父の息子)がおかずに食べようと20個中・14個の売れ残りを食べて完売になった~
だが喜び勇んで販売所に戻る途中に中学生二人に呼び止められ売り上げを<盗られてしまった>どのように盗られたのか気付かなかったが<傍にいた男の子が教えてくれた・お兄ちゃんが持って行ったよ>販売所の人には<もう来なくてイイと言われた>
大家族だった
お母ちゃんは・僕を可愛がる余裕はなかった、小4の時に一人目の弟、その後三年毎に二人・三人と弟が出来た、又、義父の前妻の都合とかで息子が三人が戻ってきた(長男は明治大学・次男は福岡の西南学院大学)三男はフリーだった。
家には9~12人が居る<僕だけをかまう訳にはいかない・このことは自覚できていた>おまけにみんな男達・力仕事で汚れた洗濯物を毎日手洗い<掃除・食事の用意も一人でやる>休む暇もなく働きずくめの日常を送っている~
お母ちゃんはお金も自由にならなかった<義父がお金を管理する>この頃には酒屋・肉屋・米屋とかは配達をしてくれて、ツケ払いになっていた。
僕は弟の子守をするのだが・一人が育てば次の赤ん坊の子守だ・ある日に疲れて昼寝をしてると蹴とばされて昼寝もできない、家業の手伝いと子守り方で遊びに行く暇もない<子供にとってこれが一番辛い>
お母ちゃんは覚悟をしていた
小6の時にお母ちゃんがおいでと二階の部屋に連れて行かれた<右手に持っていた紙包みを脇に置いて・お母ちゃんは言った>ここに居てもこの先希望が持てない<一緒に死のう>僕を刺して・そしてお母ちゃんも死ぬから・お母ちゃんは嘘をつかない人だ・お母ちゃんと一緒なら死んでもイイとも思った<どうする?>と聞かれ・


考えることもなく<すぐに返答できた><せっかく生まれて来たんだからもっと人間やりたい>だった~ここで死ねば<苦しい思いを耐えたことが無駄になる>そんな思いが走った~生きなきゃ~
次の日に学校から帰るとお母ちゃんは掃除をしていた、その表情はハツラツとほくそ笑んでいる、こんな顔見たことがない、嬉しそうだ・僕も嬉しかった~
<お母ちゃんは気が晴れたようだ~僕に生きる希望があると知って吹っ切れたのだ~・良かった!>
12)お母ちゃんありがとう
梅雨時だった:学校の帰り道に一緒に帰ろうよ~と女子の声が聞こえた、振り向くと男子1と女子3人がいた、僕は学校でも喋ることはない<日常の恐怖心でそんな余裕はなかった>だが初めて声をかけられて・嬉し恥ずかしい気分がした~
200メートルほど歩いた時だった・いきなり男の子が声高に<こいつの靴破れてるぞ~こいつの靴破れてる>と僕の靴を指差しながら、ほら見ろ見ろと面白がって何度も叫ぶ、この時に生まれて初めて怒りを憶えた・血が登った・気がつけば男の子をぶん殴っていた。
家に帰って一時間も経たなかった<男の子を連れて母親が血相変えて入って来た>転んで手に擦り傷ができた、どうしてくれるの~
突然のことでしどろもどろに対応するお母ちゃんは正座をしてひたすらに謝り続ける<ごめんなさい・ごめんなさい・申し訳ございません>と、同じ言葉を何度も何度も繰り返す、他の言葉は一切なかった<ただ謝るのみ>
その姿を見て・僕も同じように頭をもたげて座った<20分位が経過して>帰って行っってくれた。
どうしてそんなことをしたの<お母ちゃんに聞かれ>皆の前で破れた靴を笑いものにされたんだ~我慢ができなかった・と答えた、叱られることはなかった~
その二日後の朝・学校へ行こうと玄関を見ると<真新しい靴が置いてあった>それは光り輝いて眩しく目に映った~

・・お母ちゃん・有難う・・
今でも おいらの靴は長持ちをする<この時に考えたんだ>どのように歩けば靴が傷まないかと・結果・おいらの歩き方はスマートなんだ~
13)小6の夏休み~此処は天国だ~
夏休みが来た:お母ちゃんに連れられて、お母ちゃんのお兄さんの所へ行くことになった、山口県の小野田市だという、家に居ればいつも肩身の狭い思いで過ごしてる僕を察してくれたのだ~


蒸気機関車だ~動き始める時にシュッシュッと下から水蒸気を排出しながら汽笛を鳴らす・ゴトンゴトンと音とともに動き出した・やがて列車の窓から田畑や山々の景色が見えては遠ざかってゆく・去りゆく風景に首を左右に振る。
夏だし風を仰ぎたいと窓を開けると、石炭を燃焼した煙とともに粉塵のカスが眼の中に入ってきた、目が痛いので指でこすると眼中に入った粉塵つぶで又痛くなった、そうこうしているうちに関門海峡の海底トンネルだ、通過中にはひんやりとする。
小野田駅に着いた
バスで30分ほどだった・山間のデコボコ道を下りて藁葺き屋根の農家に着いた:そこにはおじいちゃん・おばあちゃん・おじさん・おばさん・年上の男子が二人、年下の男子が三人と女子が一人の大家族だった。


小さな山の中腹にある家から田園風景がパノラマのように一望できた・山があり・湖もある・牛がいる・ヤギがいる・鶏もいる・
おじさんは子供達には放任主義だった:危険な遊びをしないように注意をするだけで・あとはほったらかしだ~いつもと真逆で自由奔放に遊べる・天国みたいだ~僕はすぐにいとこが大好きになった~
毎日~セミがミンミン・ワシーワシー・ジ~ジ~と三重奏の如く歌いだす・山にはカブトムシ・クワガタ・綺麗な模様をしたカミキリムシがいる、小川には鮒・ウナギ・カエル・ザリガニ・ゲンゴロウと何でもいる~みんなで魚とり遊びにハシャギ廻って楽しくてしょうがない・くたくたになるまで湖や川で泳ぎまくった<泳ぎも将棋も覚えた)


遊び疲れて草むらに寝ころび空を見上げれば、視界に拡がる青空に太陽がサンサンと眩しく眼がが痛いほどに輝いている、ここでの夏休みは正夢だった<これは中学三年まで続いた>不憫な生活があったからこそ・楽しみも喜びも何倍にもなって返ってきた~
14)子供の喧嘩は必死のパッチ
ある日:校庭で全校生徒の朝礼中に今までに感じた事のない視線を感じた<僕を睨みつけてる>憎しみがこもった視線で睨み続けてる<知らない同学年の生徒のようだ>朝礼が終えるとそのことはすぐに忘れていた、ところが後日に廊下を歩いていると待ち伏せをして睨みつけている~
何なんだろう<話をしたこともないのに>気にしないことにしたが・なんと憎たらしいやつなんだと感じてきた~
6度目だった:階段を上がると待っていたようだ<周りには誰もいなかった>いきなり拳を握って殴りかかってきた、アッと~思った瞬間に反撃に変わった・
バタバタッと殴り合い取っ組み合う:上に成ったり下に成ったりで子供の喧嘩は必死のパッチだ~上になり殴ろうとした時だった、ジリリーンとけたたましい音が頭上から鳴り響いた・始業のベルだ・即座に止めて教室に戻った。
教室に戻った時にはもう頭にはなかったが<何故だかその後に二度と顔を合わすことはなくなった>生涯これ以上に憎たらしいと思えた人に出会ったことがない、多分この時に卒業させて貰えたんだろう~
道路の水撒きはやけのやんぱちだ~
義父は何がしらと雑用を命じる<家の前の道路は車が通るとほこりが舞う>脇に流れる小川の水を<5リットルは入る長い柄のついた桶>で水撒きをやる、終えると又一からやり直しをさせる、これも結構重いが
これをやると力が強くなれるんだ~と言い聞かせ・やけくそになって撒いた・範囲も30メートル・やめろと言われるまでやったこともある・<それでも日曜日だけは自由だった>アッハハ!<家族がいる時は命令はしない>
15)自分を褒めてやりたい
12月の冬休み前から夕刊の新聞配達を始めることにした、一日80円でもひと月働けば2400円<一月後に初めてお金を貰った>使い道は決まっていた・以前から写真屋さんの前を通る度にじっとショーウインドウを覗いていたんだ<僕は自分の写真を持っていない>一枚でいいから写真が欲しかった~
いつも覗いて料金は知っていた・一番小さい白黒写真3.5X4.6cmが400円だった
写真屋さんのドアーを開き<小さな声で写真を撮って下さいとおじさんに言った>恥ずかしさと嬉しさ混じりの表情だったかも
おじさんは写真を撮る時にハイ笑って・笑ってと言ったのでつい笑顔になった、それがこの写真だ~この一枚の写真は宝物として長年に渡って手放すことはなかった~


新聞配達を終えて
夕刊配達の帰り道だった:点々とする民家を歩いていると音楽が聞こえてきた、窓越しからそっと覗いてみると何本ものろうそくが灯っている中で<赤と白の服を着たおじさんと同年代の子供達が讃美歌を口ずさんでいる>あ~今日はクリスマスなんだ・背伸びをしてジッと眺めた<僕とは縁のない世界なんだ>冬空を眺めながら・寂しい思いで帰った~
心の行き場所を探そう~
自分の世界~そうだ魚釣りに行こう~毎月のお金で釣り道具を買い揃えていった<とにかく家に居たくない>恐しい視線から逃れたい・脳裏にはこの一心しかなかった《将来の夢を考える余裕なんてひとかけらもなかった》
バイト5か月がが来た~釣り道具も買い揃った<これで遠くへと行けるぞ~>待ちに待った日曜日だ~早起きして朝食も取らずに前日に買って置いた釣り餌と道具を背負って出かけた<嬉しくてたまらない~>
朝一番のバスに乗って港に着いた、お店で自分のお金で買ったあんパンを口に入れた~おいしい~そして防波堤に着き・餌を針にさして海中に投げ入れた~
なんという解放感だ~生きた心地がする<みんな忘れられる・全て忘れられる>自分だけの時間だ・嬉しいな~楽しいな~海と波と船が見える・幸せだ~・最高の気分を味わえた・


16)中学生になった
カバンを片手に真新しいつめ入りの学生服を着て中学校に行く~近隣小学校と集合体になったのでクラス数13組:同級生は700名もいた、僕は一年2組:男子53名・今とは大違いの生徒数だ~

中学生になっても勉強はしなかった<お前みたいな奴は勉強するなと義父の怒鳴り声が耳にこびりついてる>もう一つは勉強机もない。
運動能力テストは上位だった・足が速く特に反復横飛びとかは楽にやっても一番だった・駅伝や水泳大会には選手として選ばれたが<水泳大会で忘れられない失敗を思い出す>平泳ぎ50メートルの時に皆を驚かしてやろう~前半25メートルは潜ったまま泳ごう~


スタート合図とともに飛び込んだ・潜ってまま15mほど過ぎたところでざわめきの声が水中迄聞こえた、よし~このまま潜って行こう<まだまだ余裕があるぞ>25m迄にはあと二漕ぎくらいかな~と・思い切り漕いだときに『ガツン』と脳天に激痛が走った、漕いだ瞬間にコンクリートの壁に頭をぶっつけてしまった~
復路は痛さがひどくてまともに泳げない・楽勝のはずだったのに・3番目になってしまった・どこか間が抜けてる。
家業の手伝いで
コークス(燃料材料)作りの仕事を始めたのはいいが・僕がやるようになった・モーターでベルトを廻し大型の餅つき機械の様なものでガッシャン・ガッシャンと近所迷惑になる大きな騒音になる~
学校から帰っては毎日これをやる:粉にした粉塵は黒くて体に付着したり息苦しくなるので口にタオルを巻いてやっていた、こんな日が半年続いたが利益が薄いのか・騒音のせいかで辞めることになった・助かった・
隣に家が建った
誰か引っ越してきた~銀行の支店長さんらしい~家との間を3mX6mの庭にしたようで壁が無かった<犬小屋があった>紐 に繋がれたままの(ジョン)がいる、ジョンはおとなしい性格で吠えることもなく番犬の役目をはたすことはない、食事は与えられるがいつも繋がれたままで<寂しそうな表情>をしている、ある日・ジョンの紐 をはずして外に連れ出した~


近くの空き地に行って一緒に走り廻った<ジョンは喜び勇んでハシャギまくっている>こんな経験がなかったのだろう・それからは時々紐 を外し一緒に遊んでやることにした<いつの間にかジョンの尊主は僕になっていた>
犬にとって尊主は一人しかいない<4人家族でも犬は尊主を一人に決める>又、尊主に優しい人は味方とし・そうでない人は敵になる。
あるスナックのママがこんなことを言ってた<うちの犬はね・主人に吠えるのよ>これはご主人とママが余り親密でないことを意味する(気の強いしっかりした犬は尊主を守ろうと敵に吠えるのだ)犬は正直だ~
17)屠畜場(とちくじょう)ができた
すぐ近くに<と畜場とが建てられた>牛・豚・時々馬もいた・それらを殺処分して食肉加工するところだが、業務が始まり出した頃から時々真夜中に豚の泣き声が続く時があった~
ある日曜日にこっそりと見に行った<木材の格子枠が8ヶ所・下はセメント>各枠内に豚が3~5頭がいた・処分する時は豚が通れる2mほどのトンネルへ追い出し、出口で待ち受けた処分係が<尖った重いハンマー>を豚のこめかみに振り落とす・一撃だ~
一瞬でバタッと倒れる・が~的を外せば暴れまくり・必死にもがき叫ぶ<これは悲惨だった~


牛や馬のと殺現場を何度か見に行った、牛はおとなしい性格で人に逆らわない<涙を流しながら死を待つ>人が首輪を持っているのでじっとしている<的を外すことがない>一撃で決まる・体重が重いのでドサッと大きな音と供に倒れる。
牛は古来から・農作業や運搬のけん引として働き・雌牛は乳牛・牛糞は乾燥させて家壁や燃料にもなる、そして食用にされる<何と言っていいのか言葉にできない>ヒンズー教は牛を神様として崇拝する。
<馬は敏感で恐怖心を取り除くために<目隠しを被せて>一撃を加える>
彼らはこの場で殺処分されることを知っている<目の前に処分された仲間を見たり・匂いで解る>豚が夜に泣き叫んでいたのは死を察知していたからだった:現在はどのように処分されているかは知らない。
近所の子供は誰も見に行かない<何がどうなってるのか・見てみたかった>
ある日
同級生に声をかけられた<近くにお金になるところがあるから行こう>着いた所は僕んちだった、塀の壁板の下を掘って穴を作っている<手を伸ばせば金属片が取れた>彼の期待を裏切りたくないので一緒に手伝ってあげた・その後はブロックを置いて修正をしといた~
二年生になって
行動範囲が広くなった・好奇心が沸いて<日曜日に博多駅周辺の商店街を歩いてみた>洋服店・食堂・居酒屋と目新しい、キョロキョロしてると一枚の張り紙を見つけた<スズメ・食用ガエルを買います>と書いてある。
当時の焼き鳥はスズメだった<今と違って丸々と太って3倍位の大きさはある>ふと右下を見ると10数匹の生きた食用ガエルが網の中に囲ってある・へえ~こんなところがあるんだ・おもしろいな~<お店の中は満席だった>
梅雨時だった:友達が<夕方に食用ガエルが鳴いてうるさいんだ>と言うので場所を聞くと近くだった<じゃ~今度行って見よう~>
18)サバイバル・ジャングル
7月に入り日差しの強い日曜日に家から300m程のところに100m X100mの広い敷地は放置状態で大きな木や雑草が生い茂ってジャングル地帯になっていた・周囲は金網で囲まれていたが・まずは一周して見よう~
敷地内に幽霊屋敷みたいな三階建てがあった・周囲はビッシリと蔦で覆われている・誰も住んでいないようだ~
ひと回りすると南角に誰かが金網を破り開かれていた<人が入れる大きさだ~>中に入ろうかと迷いつつ周りを見ると誰もいない<怖いな~怖いぞ~と思ったが>後戻りしたくない~


恐る恐ると金網をくぐり抜けると・そこは未知の世界のようだった、足元には人が通った痕跡がわずかに残っているが、前方は1~2メートルにも茂った雑草の闇に塞がれて前に進めない。
ちょっと待てよ~ここなら蛇がいるはずだ<蛇は大の苦手だ怖い>あの形状が受け入れられないのだ~そばに落ちてた大木の枝を持ち・雑草をかき分けて進もう・蛇がいたらこれで叩けばいい~
ガシャ~ガシャ~バタバタと恐さを感じながら険しく音を立てて一歩一歩と進んだ<何かが出てきそうだ~>意味不明な声を出す~ギャー~ゴー~バーと喚きながら10メートル進むと<イタ~蛇だ~>大きな草の上で寝そべってる、棒で思いきり叩くと下に落ちて逃げていった<鳥肌がたった>


こりゃ~まだまだいるぞ~周りの草花には蝶が飛び交い・あっちこっちにクモの巣とか色々な虫がいる・スゴイな~何でもいるんだ~進もう~右を向くとア~又蛇だ~とぐろを巻いてジッとしている・棒で叩くと又逃げて行った・蛇も大変だ~突然に侵入してきた天敵に平和を乱されて大迷惑だ・諦めてチョーダイ~
30mほど進むと25mプールよりもやや広い池があった・楕円形に変形させた池の中には水草が生えてる、深さは浅いようだ、数匹のカエルが危険を察知して池の淵からチャポン・チャポンと飛び込んでゆく、水面にはメダカにアメンボ・ゲンゴロウ・鮒にザリガニと<アッ~タイワンドジョウだ>デカイ40cmはある。


ヨ~シ上から両手で鷲づかみしてみよう、浅いしイケるかもと、裸足になって<静かに池の中に入る>両手を伸ばし・いちにのさん・全力で掴んだ~・が、バッシャ・バッシャと一瞬で逃げられた、スゴイ~何って力なんだ、まさか魚がこんなに強い力だとは・知らなかった・
ここはジャングルだ~何でもいる・面白い遊び場になりそうだと思った時~土手の淵に<お目当ての食用ガエルがジッ~としていた>


次の日曜日に近所の友達5人と遊びに行った、ザリガニ釣りは一匹の皮を剥いてタコ糸にくくりつければ面白いように釣れる・カエル釣りもザリガニの身を小さく切ってタコ糸にくくり・目の前で動かせば虫だと勘違いをしてパクリと飛びついてくる、咥えたまま口を開かないので簡単に捕えられる。


火遊びの好きな子がいた・蛇を捕まえて枯草で焼いている・なんと~その匂いはウナギのかば焼きと同じ匂いだった。
蛇とカエルが正面でにらみ合ってる”瞬間”を見たことがある、蛇が咥えにかかろうとした寸前に<カエルが先に飛び跳ねた>一瞬だった~カエルは助かった~
それでは食用ガエルを捕えよう・もの音を立てれば瞬時に池の中に潜り込んだ、池の真ん中は深さ60~80㎝くらいで泥沼のようだ<カエルが潜ったところは泥がふっくらと浮いている>そうか~ここを掴めば捕えられるんだ~ふくれた箇所を両手で掴んだ・捕れた~丸々と太ってて良く見ると可愛らしい顔をしていた~
<この日は大小6匹を捕らえ袋に入れて駅前の居酒屋さんに向かった>
あの~入口に食用ガエル買いますと書いているので持ってきました、あ~イイよ~と店長さんが計器に乗せた・¥480を貰った・スゴイ~この時代はニコヨン・と言って労働者の日当が¥250だった、大人の一日の賃金よりも多い・やった~¥480を握りしめてルンルン気分で帰った~
一番多い日は¥1410もあった<スゴイ収入だ~>
次の夏には宅地整備されていた:楽しかったジャングルは思い出の場所となり・そして消えた~
19)初めての知能テスト
中学二年の時:初の知能テストがあった:難しいのかな~と思ったが<学力テストよりも簡単で面白かった>先生の初め~のひと声からスタートした・単純な問題から徐々に難解になってゆく<先生が順番通りでなくとも良いと言ってたようだが~>
迷い道みたいのがあった<始めはスーと出来たが徐々にひかかってゆく>これは出口からやればひっかからないんだと気付く<この時に先生の順番通りの意味を理解する>じゃ~最後尾からやってみよう
すると・なんてことはない<全部をやってのけた>図形計算とかも慣れれば飛ばして最後尾から処理すると徐々に簡単になってゆく・無我夢中のうちに無事テストは終わった。
一週間ほど経って先生が僕だけ職員室に行くようにと云われ・何だろう・叱られることでもあるのだろうか~不安げに職員室に入ると10人の生徒が集まっていた、校長先生が<君達の知能テストは優秀だった>君たちは勉強をしなさい勉強をすれば出来るのだから<特にこの三名は特に優秀だった>と僕の名前も挙がったが~
ここには学力テスト上位の生徒はいなかった~どの顔も家庭環境には恵まれていないように感じた~僕のテストが良かったのは家庭内の緊張感があったからなのか~と思えた、僕の学業成績はいつも中の上だった、もし中の下になったら勉強しようかな~と、この程度しか考えていなかった<三年生の時も同様に呼ばれたがメンバーの半数が替わっていた>
家出を決意する
中三の夏休みが過ぎた頃だった・長年の心の蓄積が行動を起こさせた・日曜日の夜に事務所の机に座り<それまでに見て覚えた小切手の作りかた>を真似て金一万円也を作成し裏書もした<子供の換金で大丈夫だろうか>と不安はあったが無事換金できた(この時代・子供が銀行に行くことはない)


お母さんの妹さんが居る和歌山の九度山に行き:そこから大阪に行って仕事を探そう・
翌朝に汽車で九度山に向かった:紀ノ川が流れて風光明媚なところだ<お母さんに連れられて来たことがある>おじさんは出張で居なかった・早速新聞を拡げて見ると求人募集は二面以上も掲載されていた。
子供が住み込みで働く所は小さな町工場か食べ物屋さんかな~とりあえず明日の昼過ぎに行こう
翌日・出かける寸前にお母さんが迎えに来た~今考えるとスゴイ心配をかけたのだと解るが<自分のことで精一杯だった>お母さんは何も言わなかった。
もし一時間ズレていたらどうなっていただろう~・想像もできない・行方不明になり・異なった世界を見ただろう~
20)専門学校に入学する
長男のお嫁さんが来ることになった:長男は明治大学を卒業後に帰郷して半年になる<ホッとした>お嫁さんが来れば義父の暴力はなくなるかも~そう感じた~親父は長男の受験時には勉強しろ・勉強しろと叱っていたが~僕には勉強などするなと怒鳴りつけた・えらい違いだった~
そろそろ高校受験になる<お母さんは親父に>高校だけは行かせてくださいと言っていた・とりあえず工業高校でも受けようか~この時の担任は自信満々に豪語してた・任せとけ!この工業高校は後輩がいるから全員が合格するようにしてやる~
そんなんで受かるんだろうか~<結果は全員不合格>逆目に出たようだ・先生の方がショックだったろうな~
僕はどこでもよかった・友人が二年制の専門学校に行くと聞き<じゃ~僕もそこにしよう>三年間通うよりも楽でイイやと、電気系専門学校に行くことにした<この学校は後に福岡工業大学を設立し大阪市長の松井さんが卒業生になった>
専門学校は博多駅から列車で5駅目の筑前新宮駅・片道一時間くらいだった<勉強は相変わらずやらない>この頃から仕事の手伝いは減っていた、義兄や従業員と7人でやるようになっていた。
この三年間は家庭内でも変化があった、次男も結婚し近くに120坪の倉庫兼自宅を建てた、中央区清川に200坪超えの土地を買い駐車場に・風呂屋も開業・そして春吉に二軒のラブホテルを開業した、長男の嫁の兄弟二人も面倒を見ることになり、兄は大学へ弟はホテルの管理役に充てられた・僕よりも待遇が良かった・
専門学校の冬休みにバイトを探した:川端通りの肉屋に募集の張り紙があったので雇ってもらった、店内の販売手伝いと中洲の有名レストランに牛・豚・鶏肉を配達に行った・ある日洋食レストランに牛肉を持って行くと料理長に叱られた。


こんな色の悪い肉を持ってきたのか~ましなモノを持って来い~と返された!持ち帰ると肉屋の息子も怒りだした・どんな目をしてるんだ<それじゃ~この肉を持って行ってくれ>馬肉だった・料理長に差し出すと・最初からこれを持ってくれば良いのに~<この時のお客さんは固い肉を食べさせられたことになる>どっちもどっちだ!
子供の感覚は敏感だ~お客さんが100gチョウダイと言えば・指先と手の平で重さを感じ取れた、10回もやれば100gを出せた~が200gは難しく察知するのに3倍の時間はかかった<翌年には慣れた手つきになっていた>
この時代はバイト先も少なく・バイトをする生徒はほとんどいなかった・2年生の時はバイト収入で、同級生二人を誘い中洲のバーに入った・何を飲んでいいのか解らず・とりあえず一番強い酒を下さいと注文すると、アブサンを出されたので一気に飲んだ~😋他の酒も飲んで三人ともふらつきながら帰った。